携帯不携帯 2000.7.17(火)

娘の誕生日 2000.7.22(土)

無化調と業務用スープ (1) 2000.8.1(火)

恐竜博物館は凄かった 2000.8.14(月)

混入 2000.9.3(日)

携帯不携帯 2000.7.17(火)

 いまだ携帯を所持していない。
 いかに内勤の仕事とはいえ、この御時世、不便に感じることも少なくない。 特に人との待ち合わせなんかする場合、あった方がなにかと安心である。
 携帯がない時代は、そんなこともそれほど気にならなかったけども、世の中そういう環境になってきているので、「今までなくても暮らしていけた」などといっても仕方がない。車がなかった時代、電話そのものがなかった時代のことを思うのと同じ事である。

 先日も会社でネットワーク関係の打ち合わせがあって、ネットワーク会社の人間と印刷機材販売の人間と我が社の営業と僕以外はすべて営業という顔ぶれだったのだけど、そこで携帯の話になった。「携帯がないと仕事にならない」「携帯のおかげで書き置きメモが減った」とかいう話で、そうだろうとも思う。
 「移動中でも連絡ができる」という基本的な長所から「バスや電車など移動中に使えないのでは意味がない」 という感想が導き出されるのも、まあそうだろうとも思う。

 だからあくまで感覚的なものと判ってはいるのだが、携帯が嫌いなんだからしょーがない。

 バスでキャッキャと携帯で会話している女子高生やOLを見るとムカムカしてくるし、地下鉄に乗り込んでくると同時にピピピピとメールをチェックしている兄さんを見てもムカムカする。
 今日も帰りのバスで運ちゃんの注意をものともせず、喋りまくっていた若い女がいたが、貴重な読書時間なのに気が散って仕方がない。これが、人間同士の生の会話であれば左程苦にならないというのは不思議である。
 ここら辺は単なるオッサンの反応なので、このことをいくら詳しく書いてもつまらない。

 なので、どうなれば僕が携帯を持ってもいいと思うようになるか、考えてみよう。

1)鳴らない。
 これは今でもできるんでしょ。設定で。意味ない、という意見もおありでしょうが、妙な着メロが不用意に鳴って欲しくない。よくみんな恥ずかしくないな。最新ヒットなんかピロピロ鳴らして嬉しいか。嬉しいですか。そうですか。
「只今から私は私用(公用でも構わないが)モードに入りますよ。呼ばれてんだからしょーがないだろ」と宣言するのと同じことである。いや、同じことで何が悪い、と切り返されても困るのですが。

2)パソコンとほぼ同等の機能になる(インターネット限定でも可)
 なんかこれも実現しつつあるような気もするが、iモードなんてみみっちいこと言ってないでなんとかしなさいよ。要するに画面の小ささをなんとかする技術ね。ま、考えてみれば携帯自体に大きな液晶つけなくてもいいわけだから、携帯用の小型の液晶モニターを別に持ち運ぶようになればいいわけか。 ていうかモバイルそのものだけども、そこをもちょっと簡潔にめんどくさくなくやって欲しいわけッ。(我儘)

3)可能な限り小さく
 普段、携帯を入れるような鞄を持ち歩かなかったり、ポケットのついた衣服を身に着けなかったりする僕にとっては、理想は腕時計ですね。ウルトラ警備隊の例のやつのような。あとは尻ポケットに入るような超薄型折り曲げ可ハンカチタイプとでもいったようなもの。

 なんかいろいろ我儘言ってナンクセ付けて、ケータイを持ち歩かない言い訳にしようと思っていたのだが、どれも近々にほぼ確実に実現する(既にしている)ものばかりだな。
 じゃ、こうしよう。

4)タイムトラベルができる。

5)シャワーの代わりになる。

6)ヒゲもそれる。

7)マッサージもしてくれる。

 このうちのどれかは実現しそうで嫌だな。

 

娘の誕生日 2000.7.22(土)

 次女の誕生日である。
 早いものでもう4歳になる。4歳にしては大きいしコロコロした体をしている。親譲りと思えば致し方ない。

 長女の子供会の行事が終わるのを待って、恒例のステップワゴンによる大移動開始。まずは、子供たちのリクエストによりマクドナルドで昼食を。大人たちとしては、せめてモスに行きたいところだが、マックは子供たちに絶大な人気を誇る。
 野並の南の山下交差点にある少し大きめのマックへ。ハッピーセットでスヌーピーのおもちゃと、マック会員(無料)になって、バースディープレゼント(マグカップ)をせしめる。ベーコンレタスバーガーを食べるが、まずい。僕はマックのバーガーはピクルスの味、と思っているので、ピクルスの入っていないメニューは辛いものがある。
 バリューセットなどセットものを人数分頼んでいるとテーブルの上がフライドポテトまるけになる。このバリューという奴に僕などは非常に懐疑的で、何が値打ちなものか、ポテトによる水増しならぬ、芋増しではないかと常々思っているのだが、どうか。

 誕生日プレゼントに運動靴を買い与えるため、今池のツルヤに向かう。改装前の閉店セールをやっているのを、先日今池国際にポケモン映画を見に行ったときに、発見していたからだ。
 結構安い。普段あまり見つからない僕のサイズの靴もゴロゴロしていたので、スニーカーやサンダルなどついでに購入。28〜29あたりのサイズの靴は最近でこそまあまあ見かけるようになったが、以前は入手に苦労した。たまにサイズがあっても、デザインが選べない。今日は、種類もいろいろあって選ぶのに迷ったほどだ。
 会社ではここのところ、マルタイのウレタンソールを愛用している。オッサンつっかけといえばそうなのだが、デザインもそこそこで、サイズもLLであれば苦もなく履ける。数ヶ月で駄目になるサンダルも多いなか、これは結構長持ちする。

 あとは、少し買い物をするだけなのだが、まだ夕方まで間があるので、市内をドライブすることにする。最高気温38度というとんでもない日で、こんな日にラーメンを食べようかななどと思うのは我々ぐらいのものだが、それも性。こんな日であればこそ、と思いつく店もあるのだ。
 名古屋一の行列店と言われる「万楽」。こんな日のこんな時間(3時過ぎ)であれば、待たずに食べらようというもの。
 以前一度食べているのだが、その時は連食の2軒目ということもあり、味の程がイマイチ確かめきれていない気分であった。名古屋を代表する店、とまで云われることもあり、気になっていたが、普段の生活圏と反対の位置に存在するため、なかなか行けずにいたのだ。

 西区江向に向かう。冷房の効いた車内に家族を残し、勇躍店内へ。思惑通り、行列もなく、空席もある程。あたりまえである。太陽はいまだサンサンと照りつけ、店内はクーラーも左程効いておらず、そればかりか開け放たれた入り口からは生暖かい風が吹きつけてくる。それでも次々ポツポツと客がやってくるのはさすがである。なんせ3時半過ぎという時間帯である。他の店はまずガラガラであろう。

 この店のデフォルトである「漢方万楽麺」は410円という安さ。これも人気の理由の一端であろう。今回もうまいとは思ったが、名古屋で一番と云われると、首を傾げざるを得ない。一歩バランスを崩すと、そこらへんにあるありきたりなラーメンになってしまいそうな味である。そのバランスを決して崩さないというところが評価の理由と思えばそうなのだが。
 最近、定番系の店の味に舌が合わないことが多く、少し自信をなくしているが、それがどうということでもない。

 残りの買い物を済ませるため緑区方面に戻ることにするが、途中、塩付通の「プレヴァン」でパンを買い込む。最近一番お気に入りのパン屋で、まず何を買ってもハズレがない。今日はいつも行くと売り切れのバゲットなどもあって満足。

 島田の中部薬品でドラッグ系の買い足しをした後、地元の黒沢台へ。西友で買い物班を降ろして、 ALBEROでコーヒー豆を買い、そのそばのママンタルトで、予約済みのバースデーケーキを受け取る。少し高いが甘過ぎずおいしいので、もっぱらここでケーキは注文している。

 夜は、別にパーティーとか大げさなことはしない。次女の好物のおかずを中心にした夕食のあとに、ケーキで祝う程度である。娘が3人ということは、年に3度あるということだから、そうそう贅沢はできない。

 というわけで、暑い夏の一日終わり。

 

 

無化調と業務用スープ (1) 2000.8.1(火)(8/2文章改訂)

 無化調って、分かります? 一般的な用語かどうかわからないけど、ラーメン仲間の間ではよく使われる。要するに「化学調味料が入ってない」ってこと。
 単に「無化調」といっても段階があって、化学調味料の白い粉そのものをスープなりタレなりに投入していませんというのから、なると一つから醤油に至るまでひとつひとつの具材の原材料にも、無化調と確認できたものしか使わないという徹底したものまである。

 ラーメン屋には「無化調の店」というのがあって、どちらかというと普通の店より「価値がある」と思われがちな傾向は確かにある。
 化学調味料というのはいわゆる旨み調味料のことだから、入れれば「旨み」が増す、というのは当然のこと。しかしながら、化学、というからには当然、人工物なわけで、天然の素材から念入りに抽出された「旨み」に対して、お手軽感は否めなく、有りがたみも薄く感じるのは人情である。

 一般的にも、「人工」より「天然」を有り難がるのは、現代人の常であるわけだし。『買ってはいけない』がベストセラーになったけども、化学調味料自体に対する批判も根強いものがある。
 化調を使えば旨みが増すといっても、化調のみが突出したスープは食えたものじゃない。あくまで他の素材があっての話で、味の素を湯で割って飲んで、うまいかといわれればお分かりであろう。
 逆に、無化調だからうまい、とは限らないということも当然あるわけで、結構この問題はラーメンにとって根が深い。

 ラーメン好きの間でも、化調を気にする人、まったく気にしない人、様々である。
 まず我々の世代というか戦後世代のほとんどが、化調の味というのに鈍感ではある。小さいときからその味で育ってきたから、それで普通だと思っている。
 だから、多少化調が入っていようが、バランスの取れた「旨み」を感じれば、それで良しとする。何しろ「旨み」を増しているわけだから、うまいと思って、ある意味当然。

  しかし少数ながら、化調に敏感、という人々が存在して、こうした人はほとんど体質的にと言ってもいいレベルで化調を受けつけない。
 例として持ち出すのが適当かどうか分からないけども、そばアレルギーの人は、そばをうまいとかまずいとか思うそれ以前の問題なわけでしょ。ほとんどそれに近い領域ではないかと思う。

 僕自身どうかというと、ご多分に洩れず、化調どっぷりの環境で育ってきているわけで、それほど気にはならない。というか、化調が入っているかどうか分からないことがほとんどであった。生まれ持った舌自体もそれほど敏感なほうともいえないしね。
 ただ、ここんとこラーメンを食べ歩いてきて、以前よりは敏感になってきたかな、と思う節もある。なんせ、ラーメンと化調はほとんどの場合、切っても切れない関係にある、といっていいと思う。外食産業全体に云えるのかもしれないけど、やはり「無化調」であることの方が珍しい。特にとんこつラーメンなんて、化調の存在抜きでは味が成立しない恐れがある。「必要悪」という言葉を使う人もいるぐらいだ。

 世の中にはいろんなラーメンがあって、スープも千差万別。そうすると、いろんな理由で化調過多という店も出てくるわけで、そうしたラーメンを食べると一定の症状が生ずることに気付いた。

  • 食べ始めはうまいと思うのだが、食べ終わる頃には飽きてくる。
  • 食べ終わった後、それほど塩辛いわけでもないのに異様に喉が渇く。
  • 舌がピリピリする。もしくは、上あごが軽くやけどしたような状態になる。

  具体的に店を挙げてしまうと、名古屋で今一番の人気店といえる「本郷亭」。ボリュームのあるチャーシューと白湯のこってりとしたとんこつスープが評判であるが、小さじ山盛りの白い粉を何杯も丼に投入していることは周知の事実である。「ラーメン食った〜」と思える満足度十分のラーメンで、僕も好きなのだが、上記の症状すべてに当てはまる。
 実際、支店やFC展開が祟ってのオペレーションの低下を招いていてか、こちらの舌が変わったのか、最近以前程の感動を感じられない。

 今僕が一番好きな「らーめんらあめん」は、無化調の店で、上記の症状は何一つ出ない。そればかりか、食べ進む程にうまさを増し、多少塩辛く感じてもそれほど喉が渇かず、油が多くスープも結構熱いのに、上あごがやけどしたような感じにならない。
 そのラーメンに慣れてしまったせいで、化調にちょっぴり敏感になったということもあるのだろうか。

 そうではあっても、しかしまだ僕は、化調否定、というところに至っていない。

(長くなりそうなので続く)

 

 

恐竜博物館は凄かった 2000.8.14(月)

 8月の第一週末に、義妹一家と福井県の岩屋へキャンプに行ってきた。
  キャンプ自体はこれで三年目。道具類も少しづつ導入され、遂に今年は安物のバーベキューコンロともらったテントを自前で持参した。
 虫嫌いの人間が多い家族なので、なにかと苦労するが、まあたまには気持ちのいいものである。外で寝るってのも。
 で、2日目は甥(5歳)の希望で、勝山市内で開催されている「恐竜EXPO2000」へ。
 何が凄かったって、何しろ暑さが凄かった。
  福井恐るべし。知ってる人は驚かないとは思うが、北陸という言葉の「北」のイメージから少しは涼しいんだろうなどと見くびっているとえらい目に会う。「北」の文字を返上して欲しいぐらいだ。まったくの言いがかりではあるが。
 第二駐車場以降は、結構会場から離れていて、バスで会場へ移送される。移送バスはひっきりなしにやってくるのだが、なんせそれを待つ列が長蛇。乗り込むまでに、暑さでやられる。
 会場に到着すると、三つの大きなテーマパークがあるのだが、それが直線的に並んでいる。各々がなだらかな坂を含んだ長い道で結ばれていて、それを歩いていくだけで、死にそうになる。幼子にはかなりきつい。
 最後まで行ったら、また同じ道を戻ってこなければならないのである。まあ、順番に見せるという意味ではいいのかも知れないが、あの広さでその造りはどうかと思う。行きたいところにまっすぐ行けないのである。
 ということで、我々も途中までで時間の都合もあり、断念。しかしながら、メインの「恐竜博物館」は堪能することができた。
 これは、この夏オープンした県立の博物館で、このオープンにあわせてEXPOも開催されたということなのだろうか、かなり本格的な博物館である。
 エントランスからまず長大なエスカレーターで3階下まで下っていき、玉子型のドームに作られた展示ホールを順番に階層を上がりつつ見物するという仕組み。建築として見ても結構面白い構造。
 「博物館」というイメージよりかは、どちらかというと最近流行の大型水族館やテーマパークのアトラクションノリ。しかも展示はかなり本格的。数十体に及ぶ恐竜の骨格標本(化石)は、さすがに複製が大半ではあるが、かなり迫力がある。可動ロボット式含む恐竜の模型・ジオラマも、かなりリアルで『ジェラシックパーク』以降、を感じさせる。
 詳細はホームページ(かなり充実)を見てもらうとして、これがEXPO以後(10月上旬より再オープン)は大人500円で見られるというのだから、これは行くっきゃないでしょう。男の子&旧男の子必見である。じっくり見れば、一日つぶせます。他県からのアクセスが辛いところが、ネックではあるけど。
 EXPO自体は、まあ全部見てないのでなんともいえないところではあるけども、あの暑ささえなければ、それなりに楽しめるのではないかと。でも、夏の間しかやってないのよね。とほほ。まあ、近くのスキー場が駐車場になってるぐらいだから、冬は雪で開催不可能なのかも知んないけども。

 

混入 2000.9.3(日)

 いろんなものが混入していて世の中えらいことになっておる。

 雪印の事件が明るみに出た時点で、「そんなの他の会社でも絶対あるぞ」と思ったのは僕だけではないと思うが、これほど続々と出てくるとさすがに途方にくれる。
 まあ、今に始まったことではない筈で、各企業が雪印効果でビビッてしまって、事態が大事にならないうちに自己申告するようになっただけで、今までは新聞にいちいち載らなかっただけということも承知の上だが。

 ケロッグのオマケのように、あらかじめ告知されていてこちらも心の準備が出来ている場合は別にして、いったん何らかの名称がつけられて流通されている商品は、その商品が謳っている内容物によって均一に満たされているものと信じて開封するのが人情で、その中から異物が出てくるという事態は、何にせよショッキングな出来事である。
 それが、ハエとかカナヘビとか人間の指のようなものとかであれば、尚更だ。

 しかしながら実際は、世の中そんなに均一のものばかりで満たされているわけではない。
 子供の頃、枝豆を食べていたら、その中の一つに小さな青虫のようなものが入っていた。それ以来僕は、直接さやに口をつけて次々と豆を放り込んでいくあの枝豆ならではの食べ方が出来ないでいる。手のひらに豆を取り出して確認してから口に運ぶという実に野暮ったい食べ方になってしまった。
 そりゃ生鮮食料品と工場製食品との違いじゃ、というツッコミもあるだろうが、海の向こうでは輸入された蟹から重量を増やすための鉛が続々と発見されたというニュースも伝わってきていて、ゆめゆめ油断ならない。

 99%は均一なもので、1%に何かが混じっていたとしたら、それってアタリなわけでしょ。混じっていたのが一万円札かなんかだったら、衛生的な面はさておき、大ラッキーともいえる。今回の場合は、それがハズレのものでアンラっキーなわけだけど、こうして考えるとアタリとハズレって表裏一体だね。
 管理された生産体制で作られたはずの工場製食品から、異物が発見されているのが問題なのはわかるが、そりゃそういうこともあるだろう、と思うのはあまりにもノンキな考えか。

 もちろん消費者として怒りをぶつけるのも、企業として謝罪するのも至極もっともなことだと思うが、すべてのものに何らかのものが混入している可能性があるってことが改めてわかったことが、今回の教訓だろうか。
 これにあまりに神経質になりすぎると人間生きていけないわけで、たとえば市民プールの中のおしっことか、満員電車の中のおならとか、気にしだしたらキリがない。今回の例に近いところで言えば、すべての外食産業とかも何が混じっているかわかったもんじゃない、ということになってしまう。

 知らないほうがいい、ってこともあるんだよね。

 

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