煙 草 (1) 1999年8月12日(木) |
煙草をまた吸うようになってしまって、少し悔しい。 吸い始めは遅くて、二十歳もとうに越え、23歳ぐらいのときだったから、10年と少し吸って、去年の夏にとりあえず辞めた。辞めたといっても、生来のへそ曲がりにより、禁煙を宣言したわけではない。とりあえず煙草を常に持ち歩く習慣を辞めたということに、対外的にも自分自身にもしてあった。それまで一度も禁煙を試みたことがなかったが、意外とあっさりその習慣を捨てることができた。 特に思い立ったことがあったわけでもないのだが、なんとなく煙草に振り回されているような気がして、少し嫌になったのだ。本数としては、一日ほぼ一箱、ヘビースモーカーというほどでもないが、たしなみ程度というには多い本数だったろう。仕事中は吸わない環境であったため、休憩時間や朝晩の在宅時だけで、その本数である。 吸い始めから、「いつでも辞められるな、こんなもの」という気分で吸っていた。別にカッコづけで吸っていたわけでもなく、それなりにうまいと思って吸っていたのではあるが、「たかが煙草」という意識が常にあった。「なくても大丈夫、やっていける」と。 【この項続く】 |
煙 草 (2) 1999年8月13日(金) |
【承前】 自分の意志で吸っていたと思っていたのに、そうではなく、吸わされていたのだ、と気付いてしまったのだ。 そんな訳で、腹を立てた。腹を立てて、その場で煙草を辞めたかというと、そういう訳でもないところが、我が強いというか意志が弱いというか。 たかが煙草、のために禁煙なんて誓いを立てるのは、まったくもって腹立たしい、というわけだ。で、それからも数ヶ月間、そんなことを思いつつ、普通に喫煙を続けた。 ちょうどその頃ガシャをやるようになっていて、煙草代がそのままガシャ代に移行した感じになって、ガシャることが喫煙の代行行為となったのかも知れないが、行為としてそこまで異質なことが果たして代謝となるのかどうかということはさておき、自分の中では禁煙のひとつの理由付けになったということなのであろう。 先の理由により、禁煙できてそれでオッケー、ということにはならず、いつでも好きなときに煙草を吸うことができ、また吸わないことができるという状態にしなければならない。 で、それがなかなか続かないところが、人生のうまくいかない所なわけで。 まあ、多くても以前の半分程度の本数なわけだが、ここ最近コントロールが効かなくなっているのは事実なわけで。先に書いたようなことを考えてきた以上、悔しいというか情けないという感じもするわけだが、まあ、たかが煙草ごときで、そこまで自分を責めるのもなんだか腹立だしい。 |