『ハサミ男』との出会い (1)

1999年8月16日(月)

 その日は午後からOFFであった。用事の時間まで少し間があったので、昼休みに会社を出て、池下に向かう。鶴舞から池下に行こうとすると、地下鉄を2回乗り換えねばならない。いっそ歩いていこうかと、駅を通り過ぎて歩みだしたものの、折からのきびしい日差しにより、発汗作用を司る機能中枢が破壊され、断念して地下にもぐる。まあ、汗かきは今に始まったことではないが。

 池下に行こうと思ったのは、駅ビルの2Fにあるという「梅光軒」というラーメン屋に行こうと思ったからで、池下など車で通り過ぎることはあっても、なかなか立ち寄ることはないから、こんな時にでも思い立ってわざわざ向かわないと、いつまで経ってもそのうまいという話のラーメンを食べることはできない。
 発汗機能が壊されるような日差しの日にわざわざラーメンを食べに行かなくてもという意見ももっともだが、ここのところずっと頭がラーメンモードになってるのだから、仕方がない。頭がラーメンモードといっても、髪型が小池さんのようになっているわけではない。ささやかなるラーメングルメという奴である。東海地方のラーメンMLにも入って、情報収集も怠らない。

 地下といえどもちっとも涼しくない地下鉄を乗り継ぎ、池下駅に汗をふきふき降り立つ。池下で降りるなんて何年振りだろう。いや、十何年振りかだ。様子がすっかり変わってしまった構内をきょろきょろして、目的地を探す。
 火曜定休で、「梅光軒」があるフロアー自体休み。そんなものである。
 さほど気落ちすることもなく、そのまま三洋堂にむかう。メシは後でいいや。

 池下の三洋堂は久しぶりだが、ここは昔から割とお気に入りの本屋である。他の三洋堂とは少し違った雰囲気で、「昔ながら」といった感じが残っているような気がする。棚揃えがマニアックなわけでも、大概のものがなんでも揃うわけでもないが、不思議と落ち着いた気分になるので、スクーターで通っていた頃は、遠回りをしてよく寄ったものである。遠回りというか、まったくの方向違いであるのだが。
 新刊チェックを中心に棚を眺めていく。ここ最近は、行動範囲に適当な本屋がないので、以前は日課だったこの行為が、たまにしかできなくなっている。

 ノベルスのコーナーで、講談社ノベルスの新刊を見つける。ノベルスの新刊など特にここのところ熱心にチェックしているわけでもないが、何が出ているかぐらいは、癖で見てしまう。で、ほうまたこんな新人が、とか、この人は相変わらず、とか思いつつ、京極夏彦とか森博嗣とか法月綸太郎が出ていれば手にとり、さらに興が乗れば購入するというわけだ。その2日ばかり前の日に、新刊の入荷が少ない鶴舞駅前の日進堂で、『カニスの血を嗣ぐ』とかは見かけていたのだが、その時には見当たらなかったタイトルがふと目を惹いた。

 『ハサミ男』殊能将之。

 第13回メフィスト賞受賞ということで、メフィスト賞ってなんだっけ、ああ、あの雑誌のね、ああなんか印象があんまし良くない賞だよなあ、とにかく、作家名にも見覚えないし、まったくの新人ということだ。普段は特に手にとることもないだろうその類の本だが、とりあげてぱらぱらめくって見る気になったのは、やはりそのタイトルのせいであったろうか。
 おお、XTCの"SCISSOR MAN"なわけね、そりゃ珍しい一品と、ぱらぱらとページをめくる手が、最初の献辞が載せられているページで、はた、と止まる。

   「長電話につきあってくれた
           藍上雄氏に捧ぐ」

 え。

 藍上雄氏といえば、T.T.でもおなじみの、ノンプロミステリ評論家の雄、僕らのよく知っているあの藍上雄氏のことなんじゃないの。もって回った言い方を止めれば、浜田さんのことじゃないの。
 ということは……。
 頭にカーッと血が上るのがわかる。
 この藍上雄氏が、浜田さんのことだとして、この献辞と、この題材から思い浮かぶ人物は一人しかいない。

 この『名古屋エレキング倶楽部』を、最初に連載したファンジン『Lactose』の編集長その人に間違いない。

 【この項続く】

『ハサミ男』との出会い (2)

1999年8月19日(木)

【承前】

 『Lactose』編集長(以降、ここでは仮にT氏としておこう)は、大学時代の先輩にあたる。
 先輩といっても、同じ大学だったわけではない。当時僕が大学生活の半分以上を費やしていたSF研究会で交流があった隣の大学の先輩である。
 その筆から紡ぎだされるレビュウや評論には定評があり、僕も単純にその文章のファンだった。というより、ある種畏敬の目で見ていたかもしれない。ペーペーで入部したばかりの僕のようなものが近寄りがたい存在であったし、また実際近寄りがたい雰囲気を持った人であった。
 その後、年を追うにつれ、多分音楽の話からであったと思うが、雑食で何でも聴く僕を面白がってくれて、少し仲良くしてもらうようになった。しかしそのうちに、T氏は大学を辞め、東京の編集プロダクションに引っ張られるようにして名古屋を去った。

 実はその後の方が、付き合いが深いかも知れない。
 T氏はその溢れんばかりの才能をとどめることが出来ないかのように、次々と個人誌(今でいうフリーペーパーだが)を発行し、それはまるで手紙代わりのように、続々と僕らの元に届けられた。音楽の話題あり、映画の話題あり、SFの話題あり、ミステリの話題あり、のそれらは、どれもがことごとく面白く、堪能させられた。博覧強記という言葉があるが、そんなある種硬さを感じさせる言葉では表現しきれない、しなやかな知性と教養を感じさせる文章で、読んでて肩が凝らないセンスのいいファンジンであった。
 そのうちの一つが『Lactose』で、これはT氏自身の原稿のみならず、交流のあった人間の原稿も集めて載せようという試みであったようだ。ありがたい事に僕も声をかけてもらって感激したはいいものの、しがないコラムしかかけない性で、その通しタイトルを「名古屋エレキング倶楽部」とさせてもらったというわけなのだ。
 それと前後して、東京からたびたび電話をもらった。退屈しのぎということであったと思うのだが、いつも喋るのはほとんどT氏。その時々にあったことをおもしろおかしく伝えてくれた。僕はといえば、ふむふむとうなずき、ガハハと笑うばかり。さまざまなタイミングでかかってくる電話を楽しみにしていた。

 が、僕が結婚するのと前後して、その連絡がなくなった。こちらも生活が変わったばかりでバタバタしていたということもあって、そのままになっていたのだが、少し後で、T氏と親しかった人物より、T氏が体調を崩して職場を辞め、故郷に帰ったと聞かされ、連絡が取れない状態とわかり、深いショックを受けた。
 それから、仲間と時々、どうしているのだろうと噂しつつ、四年間が過ぎた。東京を去って以来、周囲の仲間の誰ともぷっつりと音信不通になっていた。実家の住所は調べれば判ったはずだが、今までの付き合いでこちらからアクションをかけるということをしてこなかった習性もあり、また昔の近寄りがたかったイメージも残っていたので、結局そのままになってしまっていた。盆暮れ正月には思い出し、また昔のファンジンを見てはその才能を惜しみつつ、おのれの不義理を悔いていた。
 最近、ここの「らいぶらりぃ」を整備するため、また昔のファンジンを引っ張り出して思いに耽っていたところに、この本の出現である。

 とはいえ、この献辞だけでは、本当にそうだろうかという思いは残る。藍上雄という同名のプロがいるんじゃないだろうか、とか、いや漢字まで一緒ということはあるまいとか、ぐるぐる頭の中を疑念が渦巻く。
 しかし、かつてT氏が浜田さんにミステリのことなどで、電話をよくしていたのは事実だし、考案したミステリのアイディアを話したなんていうことも、直接本人から聴いたことがあるような気もするし、そうであれば、この献辞は至極自然なものに思われる。
 慌てて、見返しの作者紹介を確認する。写真など当然のごとく載っていない。そこには生年月日と単純な身体的特徴(それも人を喰ったもので特定不可能)しか書かれていない。しかし、生年は間違いない。僕と同年の一級上である。月日まではさすがに覚えていないが、なにかこの辺の日付だったような気もしないでもない。
 何か確実な手がかりはないかと、ページを繰る。著者のことばはいかにもT氏らしい。参考・引用文献に目を走らせると、ジョイスやマチュからハイネ詩集やクイーン、ヴォネガットなど広範囲の分野にまたがっている。ありそうだといえばありそうだ。その中でふと目を引いたのは、『北園克衛詩集』。T氏が翻訳などをするとき使っていたペンネームに、北沢克彦、というのがあった。まったくの偶然かも知れないが、こんなとこにも関係性を見出そうとしている自分に気付く。
 本文も拾い読みしてみる。新本格系新人にありがちな陳腐な文章ではまったくない。この時点で、まだ疑いを持ちながらも、これはT氏以外にないとほぼ確信していた。

  【この項さらに続く】

『ハサミ男』との出会い (3)

1999年8月27日(金)

【承前】

 こうなると、何か手がかりはないか、確かめたい、という気持ちが高まる。「メフィスト」本誌を確認することを思いつく。確か、新しい号が最近出ていた筈、と小説誌のコーナーに移動する。
 果たして、巻末に選考座談会が載っている。慌てて目を走らせると、『ハサミ男』の作者が見つかった、などということが書かれている。ここでハタ、と思い当たる。そういえば、前号の選考座談会も読んでいるぞ、俺は。確か、選考委員絶賛のもと受賞した作品があったが、作者が行方不明で連絡不能、という記述があった。毎号、追っかけているわけでもないそんな雑誌の巻末の座談会を自分が読んでいたこと自体、不思議ではあるが、そんなことより、連絡つかず、とは、ますますあの人らしいではないか。
 ざっと目を走らせただけなので、前号の詳しい内容を記憶していない。すでにこうやって新しい号が出ているわけだから、図書館にでも行かなければ、前号の選考座談会をもう一度読むことが出来ない。そこに何かもっと手がかりが書かれていたかも知れない。その時は、当然ながらまさか知り合いかも知れないとは、思ってもみない。

 とりあえず、三洋堂を出る。並びの「麺テリア異人館」に入って、「梅光軒」のラーメンが食べられなかった埋め合わせをする。ラーメンをすすりながらも、殊能将之がT氏である可能性を、あれこれ思い巡らす。

 用事を済ませ、今池の地下街の本屋で、再び『ハサミ男』を手にする。どうにも気になる。T氏かどうかはともかく、興味を引く面白そうな本であることは確かである。そんなに数を読まず、また読み巧者とも言い難い自分ではあるが、こうしたカンには結構自信がある。何の情報もなく、本屋でいきなり出会って、これ、と思った本にまず、はずれはない。同じ講談社ノベルスでいえば、『姑獲鳥の夏』も『すべてがFになる』もそうであった。SFと違って、ミステリはあまりあちこちで情報を仕入れていないので、本屋でいきなり出会う確率の方が多い。
 そのカンに従い、『ハサミ男』を手に、レジへ向かった。

 その時の通勤の友であった『ライトジーンの遺産』をうっちゃって、帰りの地下鉄で『ハサミ男』を読み始める。ぐいぐい引き込まれる。筋とか展開とかはもとより、その語り口自体に違和感を感じない。これは、「わかっている」人の文体である。何が「わかっている」のかは、一口で言えないが、凡百のノベルス作家とは一線を画するのは明らかである。

 途中ながらも、本自体の面白さは確認できた。さてこれが、T氏の作かどうかである。誰に確かめればいいのか。献辞を受けた浜田氏本人は知っているのだろうか。もしくはT氏と交流の深い磯氏は知っているかも知れない。ストレートに聞けば、そんなことは判明するのだろうが、もし知らなかった場合、僕が体験した驚きを体験する楽しみ(?)を、奪ってしまうことになる。
 そこで、思いついたのが大森望氏の存在である。大森氏なら、新本格系のノベルスに一通り目を通しているに違いない。そしてまた、T氏のことも少なからず知っている。版元の講談社にも顔が利くであろう大森氏に尋ねれば、編集部に問い合わせてくれるかも知れない。
 それでもまだ僕の一人合点かも知れない。ストレートに聞くことがためらわれたので、大森氏のページの掲示板に書き込むことにする。「殊能将之氏の正体を知っている人はいませんか」と。
 同時に、仲間達にこの本の存在を示唆するために、Niftyの仲間内のPATIOにここまでの経過をぼやかして書き込む。「この本、なんか臭いぞ」と。

 反応は素早く、そして驚くべきものであった。

  【この項もう一回続く】

『ハサミ男』との出会い (4)

1999年9月2日(木)

【承前】

 と、ここまでで実は最初に書きたかったことのほとんどを書いてしまっている。
 『ハサミ男』という本に出会った時の衝撃を、書きとめておきたかっただけなので、その後の話は、また別の話というか、後日談に過ぎないというか、今となってはすべて明らかになったわけで、以下のことは知ってる人は知ってるし、そのことの追認作業に過ぎないわけでもあるのだけれど、ここで話をほっぽり出すのも無責任極まりないので、一応まとめに入るとするか。

 谷山氏をはじめとするPATIOや大森掲示板を見た仲間から、続々と驚きの声があがる。知らなかったのは僕だけ、というわけではなさそうだ。滞米中の谷山氏はもちろんのこと、まだ『ハサミ男』を手にとって見たという人も少なかったようだ。普段滅多に書き込みという形でのコンタクトがない、田中君や飯尾君@CLASSICAまでもが、興奮した様子でうちの掲示板に書き込んでくれて、このあやふやな情報が周囲の仲間に与えた衝撃の大きさを思い知らされた。

 謎の解明に望みを託した大森氏からは、「名古屋方面に質問しようと思っていた」とのレスが。やっぱり読んでらしたようだ。で、怪しいと思われていたようである。
 そして次の日には、僕の小賢しい思惑通りに講談社に問い合わせてくれたとおぼしき大森氏の「確認しました」の書き込みが。

 こうして謎はあっさりと解明された。殊能将之はT氏に間違いなかった。
 これでもやもやは吹っ飛んだ。消息を絶っていたT氏の健在が確認されたことと、そのあまりにも劇的な登場に快哉を叫ばずにはいられなかった。何よりも嬉しかったのが、読み終えた『ハサミ男』が、期待に違わぬ傑作であったということである。
 謎の解明を待つ前夜、何か手がかりはないかとインターネットで検索しまくっていると、既にあちこちの書評系サイトで好評であるということがわかり、更には「ハサミ男ホームページ」なるものまで既に登場していた。
 途中で作者の意図がわかった人と最後であっと驚かされた人で、評価のニュアンスは多少違うものの、秀作であることを認めるという論調には変わりはないようであった。僕自身は当然後者で、ただ呆然とページをめくり続けた人間ではあったが、たとえ途中で仕掛けがわかったとしても、それがこの作品の評価を少しも損なうものではないと、断言できる。

 その週明けには、磯氏からの「緘口令は解除されました」との掲示が、大森掲示板に書き込まれた。同時にPATIOの方にも、事前にT氏から知らされていたとの告白があり、仲間うちでは磯氏と浜田氏だけは事の顛末を知っていたとの事であった。磯氏は6月に出版が決まって上京したT氏と面会も果たしており、その晩にかけてきてくれた電話でその時の様子を詳しく聞かせてくれた。その電話では同時に、T氏が次回作の取材で岐阜に来るついでに名古屋に寄りたいという希望をもっているらしい旨を伝えられ、もちろん喜んで迎えると答えた。

 次の日の晩にはT氏自から電話をかけてきてくれた。4年以上ぶりであった。声の調子が以前より更に落ち着いたものになっていると感じられたが、その他は以前のままの様子で、出版の顛末を簡単に、そしてシニカルに語ってくれた。
 そして月末には、英樹氏と僕で来名したT氏を迎え、更に詳しい顛末や次回作の予定の話など楽しく聞いたわけなのだが、その話はそれこそ別の話。

 とにもかくにも新作が常に楽しみな作家の登場を喜びたい。まだ読んでないあなた、だまされたと思って読みなさい。違う意味でだまされますぞ。


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