さらに工事中日記 【1996.8〜1997.2】
 
 
1996年8月27日(火)「さらに工事中日記スタートと近況」

 もういい加減にしろよなおまえとの声も聞こえる中、心機一転「さらに工事中日記」として今後ともよろしくお願いします。だはは。
 やはり、毎日日記書かなくてもいいやなどというのんきな体制で臨んでいると、どんどん怠惰な方向に突き進んで行ってしまうので、ま、最低週一回出来れば二回以上のupを義務づけたいと思います。わかったかオレ。わかったら返事をしなさい。ハイ。よろしい。今後もその意気で臨むように。
 ほんの一年ちょっと前まで独身だったのに、ふと気がつくと二人の子持ちだ。今日用あって、住民票をとってきたのだが、四人家族ですよ、まったく。わたしゃ、産まれてこのかた母親と二人暮らしを30年間続けてきたので、一気に倍増である。年末緑区に引っ越すと、母親もついてくるので五人家族となる。大家族である。そーでもないか。でも、僕にとっては驚異である。ま、それぐらいの家族で過ごしてきた人にはわからないと思いますが、これ結構、劇的なライフスタイルの変化ですよ。だって、家帰ってきて口開くことなんかあんましなかったもの。口開く必要がなかったというか。
 一人暮し週間も先週で終わりを告げ、今週から4人家族体制に突入したわけです。ま、新入りが一人増えたわけで、そのことについて詳しく書いたり、いっそ子育て日記みたいにしたっていいんだけど、それもあまりにも、それ、ほら。ま、気の向いた時に折りにつけ触れるとしましょうか。でも、まあ、生活の中心がそっち方面にシフトしていくのはとーぜんなわけで、必然的に記述は多くなっていくでしょうな。
 最近は、ソウルセットの新譜にやっぱはまってしまっていますね。「Jr.」。これ、聴いたほうがいいすよ。僕にとっては、ビブラストーンのファーストを聴いた時以来の衝撃。
 本の方は、京極が8月出なかったので、クーンツの「コールド・ファイア」などを読んでおります。じゃまた。

1996年8月29日(木)「日経WinPCを読む」

 各インターネット誌・PC誌の発売日である。以前ほど熱心に各誌を読むわけではなくなったが、それでも一応「Internet Magazine」「ASCII DOS/V ISSUE」「日経WinPC」には目を通す。「WinPC」は、若葉マークユーザーより一段階進んだ初心者から中級レベルのユーザーまでを射程範囲に捉えた、懇切丁寧な解説記事に好感を持って、創刊以来愛読している。
 で、今号もパラパラめくっていたわけだが、突然本棚の写真が目に留まった。他人の本棚が気になるのは御他聞に漏れずで、本好きの性(サガ)である。手塚治虫全集に萩尾望都選集、おやSFマガジンも並んでるぞ。他の写真に写ってる棚を見ると、緑背の平井和正(?)の他に、青背やFTも並んでる。なんだこの記事。「自宅にLANを引こう!」という企画らしい。よく見ると本棚の上にサーバーマシンが鎮座ましましている。それも玄関にある本棚だという。本棚の上ったってあーた、天井ぎりぎりですよほとんど。すごい眺めだ。記事を読むと、長男である2歳児のいたずら防止策であるようだ。「サーバーの破壊をたくらむ長男」とのキャプションとともにその子供の写真が掲載されている。
 いやあ、変な記事だなあ。オタクの人かなあ、と思いつつ、その記事の署名を見ると「木下篤芳」とあるではないか。そーいえば、先日磯氏に、木下さんはWinPCの編集部にいると聴いたような気がする。そーであったか、と深く納得し、昔のセミナー等のイベントでお見かけした木下さんの姿を思い浮かべながら、その記事に掲載されているご自宅の写真やご家族の写真に見入ってしまう今日の良き日かな。

1996年9月1日(日)「夏の終わりの食い物ども」

 おっと、9月ですなあ。夏ももう終わりじゃないすか。なんかバタバタしとる間に今年の夏は過ぎ去っていくことだよ。
 昨日は山田さんのお宅にお邪魔して、WING COMMANDER IVを見せてもらう。ますます映画になっとるなあ。金かかってます。その後ロイホでお茶。とゆーかわしはマレーシアかき氷なるものを食ったのだけど。うまかったが、なんだか良くわからぬ。つぶあんとかはいっとったがどこがマレーシアなのだろう。トロピカルアイスティーのペットボトルが売っていたので買ってくる。これは好き。
 今日は今日で、ママンタルトのケーキを買ってくる。今度越す家のそばにあるので、挨拶代わりだ。誰にだ。ここのケーキは結構有名だが、やっぱうまいす。3個食った。食いすぎか。ケーキバイキングじゃないんだからそんなに食うな。
 そろそろT.T.の次号の原稿を書かねばならぬ。よしいっちょ気合いを入れて新連載といくか。出来たら発行後にここにもupしよう。

1996年9月6日(金)「ネット論争」

 いやあ、会社はここんとこ結構ヒマなんすけどね。家帰ってくると結構バタバタですな、やはり。赤子のことなんすけどね。夜起きて泣くことはあまりないんすけど、そのかわり寝つきが悪い。ま、今の時期、泣いて、乳のんで、しっこしてうんこして、寝るしかできないわけですから、あまりリアクションには期待できない。で、抱いてよしよしとかやるわけですが、なんせ、5Kg以上あるからね、すでに。背中や腰にきてます。米袋ずっと抱いてるようなもんすよ。
 てなわけで、あまり何もしてない。清涼院流水を地下鉄の中で読むのと、Niftyを巡回するぐらいの娯楽ですなあ。で、Nifの方はあまりアクティブな会議室とかないんだけど、ここんとこ凄いことになってる会議室があって、馬鹿馬鹿しいと思いつつも目が離せない。FWINCOMのNIFTERMの会議室なんですけどね。ここはサイクリックが凄い。1週間前のものは既に読めない。ま、NIFTERM使ってるんで、ちょっと情報収集でもと思って覗いてみたんだけど、例によって壮大なバトルが繰り広げられている。とある女性の発言とそれを擁護する男性アクティブを巡って膨大なツリーが形成されてるんだけど、もうNIFTERMとか全然関係ないの。ま、よくあるといえばよくあるんだけど、僕はここまで強烈なのは初めて見た。柱になってる論争はそれなりに筋が通ってるんだけど、裏読みとか感情論とかただの暴言とか炸裂してもうわけがわからない。3会議室ぐらいにまたがって、1日100発言ぐらい追いかけてるのでどっと疲れる。そろそろ収束してきたようなので、巡回はやめようと思うのだけど、なんかこうやっぱり異様ですね。ネット社会って。その当の女性もひょっとしたらネットおかまかもしんないと思うと、背筋が凍るような気持ちがする。ま、ヒマつぶしにはなる。なんてことを当の会議室で書くと袋だたきにあうんだろうな。
 えー、明日は永田さんが東京からやってくるので、アンビの臨時例会であります。

1996年9月7日(土)「永田さん帰名例会とオホホ」

 というわけで、アンビの集まり。6時に栄丸善集合で、出席者は渡辺兄弟、原科さん、永田さんと僕。出る前に睦夫氏にCD貸してと電話すると、「あ、ビレッジヴァンガードでちょっと買ってきて欲しいもんがあるんだけど」「いいすよ、何すか」「髑髏の貯金箱が売っとったと思うんだけど...」「.....。」私も長年生きてきていろいろなお使いを頼まれたけど、髑髏の貯金箱を買って行かされたのは初めてだ。
 定刻に集合後、風来坊に移動。手羽先を食い尽くしながら様々な話をする。「どーですか、英樹さん。新婚生活の方は」「いや、家から離れられてとても嬉しいよ。母親がいないというだけでほっとする。この気持ちは睦夫にしかわからんな」「はあ。話とか会うんですか。アニメの話とか分かりますか、奥さん」「いや、歌が好きだから、家にアニソンの唄本とかあるよ」「い、いやそれは歌が好きだからとかいう話とは違うんでは....。」「『ひみつのアッコちゃん』とかよく歌ってるよ」「は、はあ....。」その後東急インのラウンジに場所を移し、さらに様々な話をする。9時半過ぎに散会。永田さんに自宅まで送ってもらう。
 帰ってきて、サウンドベイにCDレンタルに行く。娘に久々にテープを作ってやろうと、「忍たま乱太郎テーマソングコレクション」とか物色していると、「ハンナ・バーベラ日本語版主題歌曲集」を発見。おお、前にもジャケットを見たことあった筈だが、そのままうっかり見過ごしていた。ケンケンのジャケットを見て、「ああチキチキちょっとブームだからなあ」などと軽く考えていたのだが、いやこれは確かに「日本語版主題歌曲集」である。「スーパースリー」「ドボチョン一家」「スカイキッドブラック魔王」「大魔王シャザーン」などのあの懐かしい曲がギッシリ詰まっている。個人的にカンドーしたのは「ドラドラ子猫とチャカチャカ娘」が入っていたことである。しかし今聴いても「シャザーン」のテーマは相当キテいる。「ヘンヘンヘンテコリンな怪物を/トントントンコロリンと退治する/オホホ オホホホホ」である。作詞:本田カズオとある。全然知らんが、天才か?

1996年9月9日(月)「FWINCOM新展開」

 久々の雨。夏も終わっていくことかと思えど、まだジメジメしている今日この頃である。前々回書いたFWINCOMの会議室であるが、週末巡回をはずしていたら、さらにとんでもないことになっている。例の女性は姿を消し、その代わりそのIDを使って取り巻きと称する連中が暴言の限りをつくしている。ウーム、わけわからん。やっぱそもそもその女性は男だったんじゃないかという疑念が脳裏を去らぬが、誰もそのことに触れない。しかしいつまでつきあってんだろオレ。そんなヒマじゃないんだけどな。

1996年9月12日(木)「訂正並びにお詫び」

 29日に書いた日経Win PCの木下さんからメールを頂く。あらら読まれてしまったのね。えーと、本棚の緑背は平井ではなく、小松だそうであります。お詫びして訂正致します。ま、ちょっと考えりゃそうなんだけど、深く考えずに緑背→平井となってしまったのは、私自身の昔の読書傾向が知れるなあ。いや、とにかく失礼しました。ちくったのは磯氏すか。木下さんにたまたま読んで頂いていたとは考えにくいしなあ。

1996年9月15日(日)「『名古屋で生きる』作成開始宣言!」

 そろそろ「名古屋で生きる」にとりかかろうかなと思うのですが、どんなもんでしょうかね。このページもはや1周年を迎えようとしていることだし、そのときには何とか「テスト公開中」の文字を取り外そうかなと。ここらでそろそろ新しい展開に持っていきたいなあと思うとります。で、工事を再開したいなあと思うんですけどね。
 おおざっぱにいうと次のプランがあります。

  1. 本屋の紹介
  2. うまい店等の紹介
  3. 便利な店等の紹介
 ウーム、紹介ばかりじゃねえか。これじゃそこら辺のタウン誌と変わりねえぞ。ま、いいか。それをエレキング流にやればいいんだから。
 で、これらを目的別インデックスと地区別インデックスを作って参照出来るようにする。ま、そこまではいいでしょ。問題は地図や写真だなあ。これはとりあえずパスしとこう。あとで追加出来たらってことで良いすか。これやってるといつまでたっても完成しそうにない。
 どの程度データを揃えて出発するかだけど、まああまり少なくても何ですが、とりあえず形がついたところでスタートして、どんどん追加していくことにしようかね。
 とりあえず、フォーマットを決めて、データをどんどん作ることにするよ。出来るか、ホントに。

1996年9月22日(日)「睦夫先生宅」

 昼間は出産祝いの返し等であちこち移動。先週から休みはこんな感じす。よって、前回の宣言はまだ実行されてないのす。
 夜、貸していたビデカメを返してもらいに一宮の睦夫先生宅まで突っ走る。高速通らんでも何とか1時間ぐらいで行くね、夜だと。1年以上振りである。最近は珍しくない間隔かもしれんが、以前はCDを借りにちょくちょく伺っていた。また、強烈にCDの量が増えている。ま、想像はしてましたがね。これでも次から次へと中古屋に売っているというのだから、購入のハイペースさが知れよう。ま、行くとタダで20〜30枚貸してもらうのだから何もいうまい。今回はハイラマーズ周辺、マーシャル・クレンショウ等を中心に借りてくる。先生は本にも執着がなくなっているので、読んだ本もどんどんくれる。荷物てんこ盛りにして、真夜中の高速を飛ばすと30分で帰れる。ま、遠いんだけど近いよね。

1996年9月24日(火)「G CREW3導入」

 そろそろカバーページも飽きてきたっしょ、みんな。ロゴタイトルもそのまんまだしね。というわけで、G CREW3を導入致しましたので、簡易に3Dロゴを作ってみました。レイアウトデザインはまた次回ね。

1996年9月26日(木)「アムウェイと文庫やさん」

 いとこが話があるというので、夜出掛ける。実は3年ほど前にもそんなことがあって、アムウェイの勧誘を受けた。で、今回も時を置いたその続きというわけだ。ま、前回いろいろ説明を受けて、彼がやる気を出してやってる分にはいいんじゃないかとは思ったものの、自分がやりたいとは思わなかった。その気持ちに代わりはないものの、そこはそれ親戚関係、無下に断るわけにもいかない。もっともこっちの考えは伝えてあるのだが、もう一度説明を聞いて欲しいという。それも説明会のようなものに来て欲しいという。うーん、ま、やるつもりは全くないものの、能力開発セミナーみたいな雰囲気を漂わせているかどうか確かめてみたい気もしないではないが、やはりそこへ行くこと自体あまり気乗りしないなあ。根本的にああやって人間を集めて何かやってるというのは性に合わない。ま、会社もそうだといえばそうなんだけど、そこんとこあまり気にせずやってられるでしょ。ましてやまったく興味の沸かない事柄なんだものな。
 そんなこんなで帰ってくると、小包が届いている。ふるほん文庫やさんの資料一式である。おとつい思い立ってe-mailで注文しといたものがもはや届いたのだ。早速開ける。在庫リスト付きの分厚い会誌「文庫三昧」の最新号と増刊号、A411枚にも及ぶ営業案内、紹介された新聞記事のコピーなど盛りだくさんだ。営業案内を一読、驚嘆する。噂には聞いていたが、凄い凄すぎる。なんてサービスだ。そしてその文庫に賭ける熱意に圧倒される。知人を紹介すると安くなるサービスとかあって、どんどん会員を増やしていこうという、文庫を中心とするネットワークの構築も目指しているようだが、わしゃあやっぱアムウェイよりこっちの方がええだよ。

1996年9月28日(土)「工事してるよちゃんと」

 カバーページをさらにちょっといじる。おっとなんかリニューアルって感じになってしまったなあ。中味は別に変わんないないんだけどね。 でも、あちこちちょっといじる。HTML3.0以降の新しいタグはあまり今まで使ってなかったんだけど、もうあまりこだわる必要もなくなった気がするので使ってしまいますね。もーみんなNetscape2.0以降でしょ。ここの日記のタイトルもそんな感じでいじってみました。どーすかねえ。

1996年9月30日(月)「アクセスカウンタついに動作」

 いやあ、工事は進むよどこまでも。昨日より遂に念願のアクセスカウンタが動く。カウンタサービスのものは早速廃止して自前のものに変えたけど気づきましたかねえ。いやまあ自前のものといってもここに書いてある通りにしただけなんだけど。以前も実はここを参考にしてやったのだけど失敗。久しぶりに覗いたらさらに詳しくバージョンアップされていたので再挑戦。無事動作致しました。感謝。まだ、とりあえず一番簡単なレベルのものでしかないので、そのうちグラフィカルにしたりアクセスログとかとったりしてみようかなどとおもっとります。さーて次はフォームだぞ。って歩みがのろいなこのページも。
 森さんから久々メールが届いている。どんどんホームページも密度が濃くなっていて楽しみ。『無気力日誌』は、はらはらしながら彼の日常が味わえるぞ。いや味わうって...。
 というわけで今月も終わり。いやあまずまず更新出来た月でしたなあ、久々に。10月はどんな感じでしょうか。「名古屋で生きる」はスタート出来るのか。

1996年10月6日(日)「本を売る」

 当座の金に困り(トホホ)、まあ、引越前の整理という意味も含め、手持ちの本を処分することにする。昨日は実家に残してきた本を点検しに行く。むう、ロクでもない本ばかりだ。とりあえず、前回の引っ越しの時に処分しなかったコミック段ボール2箱と、雑本1箱、岩波の全集もの1箱を早速売りに行く。売りに行ったのは植田の真理書房。さーておいくらでしょうか。ななーんと、1万8千円になりました。全集が1万円ぐらいかと聴くと、そんなもんですとの答え。となるとコミックと雑本で8千円か。まずまずだなあ。ま、コミックは手塚治虫全集がかなり混じっていたので、金になったかもしんない。ドラゴンボールとか二束三文だろうなあ。
 ほとんど競馬に勝ったか、パチンコで儲けたかのような気分。味をしめて、さらに売れる本を探す。実家に残してきたSFアドベンチャー段ボール2箱分をなんとか処分したい。が、これは引き取ってもらえるかどうかも怪しい。真理書房では電話で確かめた際、駄目だった。となると海星堂ぐらいしかないかなあ。電話で聴くと、一応引き取りますとのこと。で、ここではたと山城さんのことを思い出す。山城さんは浄心の方の海星堂系列の古本屋の店長をしている名大SF研OBである。店の名前を忘れたので、今朝英樹氏に電話で確かめる。電話番号を調べ、山城さんに連絡を取ると安いけれどもなんとか引き取ってくれるようだ。アドベンチャーだけではなんなので、本の雑誌6〜7年分ぐらいと「イズム」と「の本」の揃い、あと、哲学関係の本紙袋1袋分、ハードカバーの雑本紙袋1袋分、ナウシカ、アキラ等の定番コミックや写真集、いろいろな雑誌の創刊号コレクションなど段ボール1箱分を合わせて持っていく。車のトランクと後部座席に積めるだけ積む。
 これまたなんと、1万8千円なり。結構なるなあ。そんなものか。何故しかし1万8千円か。買い取りの上限か。というわけで、この二日で本を運んだだけで、3万6千円の収入である。家計の足しにする。まだまだあるんだけどなあ。しかし実家の小屋に入っている古雑誌達はもう捨てるしかないんだろうなあ。

1996年10月9日(水)「カセットを処分する」

 「本を売る」に引き続き「カセットを処分する」である。なんかそこはかとなく悲愴感が漂ってきたなこの日記も。しかしながらカセットが金になる筈もなく、ボーダイな量のカセットの処分に困って、会社の野呂君に引き取ってもらうことにしたというだけのことである。野呂君はまだ21歳の若者。ビートルズ・フリークであるが、いろんな音楽を聴きたいと貪欲だ。いやあ若いからなあ。わしもそうだったとばかり、いろいろカセット貸したりしてたのだが、えいもう面倒くさいカセット処分するから好きなの持ってく? と聴いたら「是非頂きにあがります」てな事で、会社帰りに寄ってもらったのだ。段ボールに4箱ぐらいあるよとあらかじめ言っておいたのだが、見くびっていたようで、実際に目にして驚愕したようだ。ま、なんせかれこれ20年間のテープライブラリーですからなあ。これまで一個も捨てたり上書きしたりしなかったのだもの、1000本近くはあると思う。もっとかな。ま、しかし自分でもあきれる程あるわあるわ、テクノからフォーク・ロック、アニソンから歌謡曲、メジャーからマイナー、20年間のありとあらゆる音源が引っ越し用段ボール何箱にも詰まっている。野呂君も最初は目の色変えて片っ端からあさっていたのだが、そのうちお互い疲れてくる。そんなこんなで結局段ボール1箱分パンパンにして持って帰って行った。よくやった野呂。ハンパな重さじゃない。腰が抜けると思う。
 でもまだ残ってるわけで、引っ越しまでには処分しなきゃなあ。でもあれですよ、かかった費用とか考えると捨てるしかないというのは悲しいよね。テープ代とレンタル代合わせて1本500円と考えると1000本で50万円ですよ。あれ、あんましたいしたことないなあ。変だなあ。20年間で50万円だったら、安い娯楽だなあ。とほほ。

1996年10月12日(土)「大須で飲む」

 今日は娘の運動会であったが、あいにくの雨で延期。夕方からは大学時代の同窓である衛藤と押切と大須で会って飲むことになっていたので出掛ける。今日は名古屋まつりであるわけで、そーなると大須でも大須町人まつりだっけかが繰り広げられている。去年は行かなかったので、2年振りだ。集合時間よりちょっと早めに行って、デジビデカメで大道芸の数々を撮りまくる。液晶VIEWCAMはとても便利であるが、撮影画面を他人に見られてしまうという点が欠点か長所か。人込みの中で高く差し上げて撮ってもモニター出来るのは便利だが、その映像を後ろの方の人がモニター代わりに見て「あ、こっちの方が見えるわ」などと言っているのを聴くと、悔しいやらいいことをしているような気がするやらよくわからん気分になる。
 3人(押切夫人含む)と落ち合って、早速角屋へ。評判の焼き鳥屋である。いつも行こうとして、これまで一辺も入れずにうまそうな煙を嗅ぐだけだったのだが、今日はぎりぎり入れる。とにかく狭い。とにかく注文する。カウンターのおばちゃんが切り盛りしているのだが、注文が3回に1回ぐらいしか通らない。そればかりか注文していないものも焼き上がった端からどんどん皿にのせられていく。ま、要するにきたものを食べる、そーゆールールと解釈すればいいのだ。さすが味はいいです。落ち着いてというわけにはいかないけど、ちょっとひっかけるにはGood Place。
 路上のパフォーマンスなどを冷やかして、期待のギリヤーク尼崎を見に行く。驚異の老ダンスパフォーマーだ。2年前に初めて見たのだが、他の大道芸の方々とはちょっと違った迫力を持っている。固定ファンもいるし、全国的にも有名なようだ。驚くべきことには60を越える70近い年齢の筈なのに、容易にそれが信じられないことだ。演目はほとんど決まっているのだが、ラストの「念仏じょんがら節」などは、観客の輪を飛び出てそこらじゅうかけずり回り、最後はバケツの水をかぶってのたうち回る。それが単なるコケ脅しにとどまっていずちゃんと芸になっている。芸になっているといえば、出し物の間の準備・衣装替えも様式化されてるわけじゃないんだけど、なんかキビキビとカッコいい。スタイリッシュでさえある。じっと見入ってしまう。イッセー尾形もそうだったと思うけど、そこをも見せてしまうのはやはり芸である。
 感嘆して、再度居酒屋でダベる。たらふく喰った筈だけど、ラーメン屋に行きたくなるのは人情ってものか。記念橋にあるうまいサッポロラーメン『八龍』に喰いに行こうと思ったけど、ここは時間が早い。もう閉まっている。仕方なく上前津方面に戻り、『金龍らーめん』にする。ここがひどかった。本店の方は雑誌のらーめん特集の定番ともいえる定評ある店の筈なのだが、めちゃめちゃならーめんだった。麺がふにゃふにゃ、煮麺か冷や麦かと思ったぞ。明らかにのびのびというか、茹ですぎ。なにが「自慢の細麺」だ。親父少し飲んでるようだったからなあ。前に一回入ったときはこんなんではなかった。客全然はいっとらんし。つぶれるぞ、じきに。

1996年10月15日(火)「保育園の運動会」

 いやあ、晴れちゃいましたなあ。というわけで、雨天順延の保育園の運動会が無事開催されたわけです。会社を午前有休にしてビデオ撮り係として行って参りました。といってもここに書くようなことは特別何もなく、ま、秋晴れの一日、楽しくほのぼのと過ごしたといったとこですな。そんだけ。

1996年10月19日(土)「『無気力日誌』を推す」

 こー見えても、毎日サーフィンとかしてるんだよ。ていうかお気に入りサイトの定期チェックが中心だけどもね。大矢さんのページも待望の秋バージョンが公開されてましたな。いつもながらセンスのいいカバーページが今回もパワーアップ。やー、でも3ヵ月は長いですよ。そーゆー方針にしたのかもしんないけど。まあしかしホームページなんかそれぐらいの更新で充分じゃないかという気もしないでもないのですが。やっぱ人間、動きのあるものに目を奪われてしまうというか、更新が頻繁なサイトに注目してしまうよねえ。
 というところで最近のダントツのお勧めは、森さんの「無気力日誌」ですな。こんなに密度の濃い文章を読むのは久し振りである。最近軽い文章に慣れちゃってるからなあ、ま、わしはもともと軽いんだが。密度が濃いといっても重重しいわけではなく、すんなり読める。うまい。文章方面の人というよりお絵かき方面の人の筈だが、下手な文章方面の人(わし)より、よっぽど読ませる。というか読んでしまう。話題は日常生活のことが中心で、MACの話題とか散りばめながら、恐ろしく細密な描写でリアルに再現されている。文章量もかなりヘヴィである。推敲・校正も入念になされているようで、なんか自分の書きなぐりの日記が恥ずかしくなる。ま、森さんとは実際のおつき合いは今まで薄かったとはいえ、書き手の人となりは知ってるわけで、でもそんなこととは関係なく、日記独自としてみてもかなり面白い。大森日記とは違った意味での面白さだ。えー、大矢さんには是非お勧めしておきます。

1996年10月23日(水)「100円レンタル」

 実家のそばに新しいレンタル屋がオープンした。で、オープン記念としてオール100円レンタルというのをやっていたので早速繰り出す。ま、最近ビデオは見るヒマないので、もっぱらCD目当てである。100円ということで10枚借りても1000円である。こーなると結構血眼になる。洋楽のベストもの(普通ならまず借りないであろうものS&Gとかフィルコリンズなど)を中心に、ボストン4枚一挙借り等10枚程レンタルする。カセットも100円ものが豊富だったので、まとめ買いする。ついこないだカセットを大量処分したのになんのこっちゃという感じであるが、ま、こんなもんである。ついでにTVブロスと週刊朝日を買っても2000円少々の出費。繰り返すが、つくづく安い娯楽である。こんなことでニコニコとご満悦で帰宅するのだから、うちの妻も少々あきれ気味である。英樹先生の古文庫本集めの趣味もそうだが、家計を圧迫しない趣味は、何かと物入りが多い30代夫の鑑といえるであろう。えっへん。っていばってる場合か。

1996年10月25日(金)「さらに100円レンタル」

 一昨日のレンタル屋のオープン記念が今日までである。居ても立ってもいられず晩飯後、いそいそと繰り出す。ま、別に当てはないのだが、100円ときては借りなければ絶対ソンといった気持ちになる。や、まあ、借りなくても損にならないのは明らかではあるが、というよりいい気になって、借りなくてもいい物を借りてしまえば、それがすなわち損なわけだが、そんなことはもう100円という数字の前にどうでもよくなってしまっている。こうなると、1円でも安いスーパーのためにバスに乗って遠くまで出掛ける主婦の境地である。
 で、結局、あれこれ迷った末、長年やりたかったビリー・ジョエル一気借りというのを試みる。ま、いまさら普通はビリー・ジョエルなんて借りないとは思うのだが、時に聴いてみたくなる。家にあるのは全てレコードで、プレーヤーなき今、聴く術はない。で、13枚一気借りだ。2枚ずつテープにぶっ込んで、さらにベストを1本作る。これでしめて2100円。CD1枚買うより安いんだから、なんたる贅沢、なんたるお得。店員のあきれ顔さえ、無視出来れば、これ以上の娯楽はあろうか。
 で、FLAPというレーベル作りのシェアウェアがあって、このソフトはわしのマシンでネスケと秀TERMとWZの次によく動いているソフトであるが、こいつでカセットレーベルを作るわけである。フォントに凝ったり色に凝ったりして、タイトルと曲名を打ちだして、出来上がったテープを棚に並べて、一人でニソニソしているのである。安上がりの娯楽である。何かと物入りが多い30代夫の...(以下略)

1996年10月27日(日)「本を売るその2」

 『本を売る』第2弾である。まずは自宅の棚のハードカバー中心に結婚式の引き出物の入っていた紙袋2袋分を近所の真理書房へ。W村上とかニーチェ全集の端本とか海外SFノヴェルスとかまとまりのない物だったけど、何とか5000円GET。ま、でも1冊100円程かと思うとトホホだよね。あとは実家の雑誌類を何とかしようと引き取ってくれそうなところを物色。上前津の亜季書房が雑誌を扱っているので、TELしてみると、本店の伊藤古本店に連絡してくれとのこと。早速連絡してみると、すぐ伺いますとのことで、実家の場所を教え、おっつけ実家に向かう。サンワイドコミックスの石森物や少女マンガ類などコミックスが段ボール2箱。バラエティ誌ほぼ揃いや、SPA!などの創刊号類コレクション、川島なおみ等の懐かしい写真集などしめて3箱と、自宅から迷いつつ持っていった「面白半分」筒井康隆編集分揃いや、ハードカバー類紙袋1袋分などを並べ、待ち受ける。ま、期待はしていなかったものの、しめて5000円である。トホホ。「岡田有希子写真集」や「みんなの歌謡曲」「宇宙船」などが珍しいですねなどと言っているが、なにがめずらしいかそんな物。悔しいので、自宅から持っていった分は売るのをやめる。それでも5000円である。
 あほらしいので、「面白半分」はとっておくことにしてその他のハードカバーを西友前の小林書店に売りに行く。2300円也。オー、得した。やっぱ少しずつ売るに限りますなあ。ドンと売ってもなんか十把一からげにされてしまって、値段に変化がない。なんか伊藤古本店にはやられたという感じである。海星堂に売りに行けばよかった。プンスカ。

1996年10月30日(水)「『価値観』論議」

 ちょっと前に話題にしたアムウェイの勧誘の件であるが、久々に電話がかかってくる。その時は時間の都合が合えば、じゃもう一回話だけでも聴くよということにしておいたのだが、1ヵ月も経つといろいろ状況も変わってくる。引っ越しも目前で準備もいろいろあるし、仕事も忙しくなってきたし、赤ん坊の世話もある。「時期が悪いから、もうちょっと時間おいてから聴くよ」と返答する。前回もそういう話し方をしたはずだが、「今、聴いておかなければ...」という言い方をするので、じゃあ時間が合えば、というように答えておいたのだ。それからすぐに一度電話がかかってきたが、あまりにも突然だったので、時間が作れなかった。だって「今からどこ何処へ来れる?」なんて誘い方だったのだから、こちらも生活という物があるし、特別に興味を持っているわけでもないことにそういう付き合い方はできない。それから1ヵ月程経っての電話である。
 「ちょっと話を聴ける状況じゃないよ。話を聴かないといってるんじゃなくて、落ち着いたら聴くと言ってるんだ。あなたも聞き手に聴く体制が出来た上で話した方がいいでしょう」それが逃げ口上に聞こえたのかも知れない。「そんなこと言ってたら、落ち着いちゃうじゃない」という。これでキレた。「『落ち着いちゃう』ってどういうことだ! 落ち着いてしまったら話せないような話なのか!」と思わず声を荒げる。ま、この時点でキレることはなかったのかも知れないが、こないだわざわざ会って話をした内容がまるで通じてないことに怒りを覚えたのだ。
 3年ほど前に一度会って話をした時点で、アムウェイがどういうものかは大体聴いている。自分にはまったく興味のないものだが、彼がやる分には否定するつもりはない。運営上のシステム的に微妙な部分があったにしても、それはどんな営利団体にでもあること。ことさら僕が目くじらを立てることでもないと思い、彼がそれに生きがいを感じ楽しくやってる分には、気持ちの上では応援さえする。しかし、そのことを自分がやるということはまったくの別問題。彼が「良い物」と思っていることは分かる。それがすなわち僕にとっても「良い物」であるとは限らない。単純に言えば「価値観」の問題。僕は人の価値観に感想は持つことはあっても、否定するつもりはさらさらない。
 前回会ったときも、同様の考えを繰り返した。しかし彼は、以前の自分の説明ではアムウェイの価値を本当に伝えきれていない。まだ、やり始めたばかりで未熟だったからだ。今はいろいろ経験も積んでいてもっとうまく説明できるから聴いて欲しいという。じゃ、以前の話はでたらめだったのかというと、そうではないという。ただ、うまく説明できていないだけだという。でたらめでないのであったら、その時の説明でアムウェイの概略は解っている。それだけで、自分には相容れない物という判断が僕にはあるんだよ。と言っても納得しない。
 「ねずみ講」的なイメージが一部にはあるかも知れないが、少なくとも彼にはそんな気持ちで僕を誘っているわけではないことは理解している。彼は本当に「良い」と思って、僕に勧めてくれているのだ。一種、新興宗教や能力開発セミナー的な勧誘の雰囲気が漂うのはそのせいもある。僕は、唯一それが気に入らないと言えば気に入らない。しかし、どうにも彼にはそのことが解らないらしい。一部の「ねずみ講」的なイメージを払底することだけに、躍起になっている。アムウェイに否定的な人間は全てそのことを誤解していると思っているのかも知れない。誤解しているわけではないということが、彼には解っていないのだ。それが、電話の発言で見えたから、僕はキレた。向こうが善意で言ってくれているのが解るから、こちらも誠実に応対したつもりだ。それが解らないのか、と言うわけだ。
 知らない人間なら、適当にお茶を濁してハイそれまでで良いのだろうが、身内の人間だからこそ、僕は怒鳴りまくった。キレてしまえば、論理も何もなくなる。一方的に電話を切ってやる。すぐに又、電話がかかってくる。
 「電話ではラチがあかないから、会って話をしよう」と言い出す。そんなの通る? こっちはそもそも、今は時間が取れないから落ち着いてから話をしようと言っているのに、全然噛み合っていない。僕は電話が長くなるのを覚悟した。
 なんとかその電話は1時間で終わったが、実りのない1時間だった。最後もなんだかよくわからないまま、向こうから一方的に切れた。さんざん議論してきて、「時間がとれないとれないと言って、この電話もう1時間ぐらいしゃべってるけど、実際時間取れてるじゃない」と言い出したのだ。それまでは、最初の爆発した感情を抑えて、なるべく冷静に誠実に応対していたつもりだったが、この言葉でどっと疲れた。「時間が取れてるわけじゃなくって、取らされてるわけでしょ」と突き放す。「....わかったよ。そういう言い方するなら」と彼。「わかったならもういいよ」「....わかったって何がわかったか解ってるの」「いやわかったんでしょ。わかったならいいじゃない」極めてくだらないやり取りになる。しばらくの沈黙の後、電話は切れた。
 話を聴いていて、何もこちらの胸に迫ってこない理由ははっきりしている。全てが即物的なのだ。アムウェイは手段だという。夢のための。その「夢」と彼が言う際に、いい車が欲しかったり、いい生活がしたかったりとそういう例を出してくる。「人間誰だって良い方に進みたいでしょ」と彼は言う。「そりゃそうだろうね、普通は」と答えざるを得ない、とりあえずは。「でもその『良い』って、人それぞれ違うわけでしょ」とこちらが突っ込んでも、「アムウェイの中でもみんな各々、違う『価値観』を持っている。良い車に乗りたい人もいれば、外国旅行に行きたい人も...」って、それって、すごい狭い意味の『価値観』でしょ。だから、人とのつながりができるといったことや、やりがいの話を彼がしても、それすら即物的に感じる。というより即物的である。彼は否定するだろう。アムウェイで得られる利益が二次的な物と彼が考えていることもよく分かる。分かった上で、彼のビジョンはなお、僕にとって即物的なものに映り、興味が持てない。「会って話をすれば」と、彼は強調するが、1時間の電話の間に変えられなかった印象は、会って話をしても変えられまい。それに実際もう会って話をしている。
 結局、僕は彼が、僕の『価値観』を認めてくれないことに腹を立てたのだと思う。『価値観』の多様性を言葉では認めつつ、理解していないことに怒りを覚えたのだと思う。だからこそ、この1時間の電話の僕にとっての『価値』を彼が理解していないような発言をしたときに、僕はもう論議をする気持ちを失ったのだ。
 多分、彼はパートナーが欲しかったのだ。仕事上のパートナーというより、自分のやっていることを理解してくれ、共に分かち合えるパートナーが。その期待に答えられないことは、残念としか言い様がない。しかし、悪いけれど僕には今の彼が目指す物を共に分かち合える自信がない。彼が「僕のため」というのならなおさらだ。
 あー、おかげで、『ボキャブラ』見逃したあ。

1996年11月3日(日)「すくすくぽんでゴー」

 先回は森さんの影響からか、長いですなあ。しかも推敲ロクにしてないから何だかよく分からない。やっぱ、森さんの偉大さがわかるなあ。『無気力日誌』は、今のWEBの読み物の中で最強なんじゃないかと思う。なんか絶賛の嵐って感じだけど、マジでそれぐらいに思ってますよ、僕は。毎週半ばぐらいにupされるのをホント楽しみにしてる。で、読み出すとこれが30分ぐらいかかっちゃうんですよ。家に帰ると本もロクに読まない人に、それだけの時間を作らせてるって所が、凄さを物語ってると思う。
 今日は、朝から植田のハウジングセンターで行われた「すくすくぽん」の公開録画に、子供連れて出掛ける。「すくすくぽん」って、東海ローカルなのね。ポンキッキーズの前にやってる3分間番組なんだけど、毎回各地の幼稚園とか遊園地とかにぬいぐるみが行って、「すくすくぽん体操」を踊るという、ただそれだけの番組である。ま、そのキャラクターがデザインも何だかよくわかんないコンセプトなんですが、どっかの星から来た王様とそのしもべが、地球の子供たちと仲良くなるために「すくすくぽん体操」で、コミュニケーションを図るという設定になっているわけで、ま、そんなことは今日見て初めて知ったわけですが。で、その王様は別に悪い人ではなさそうなんだけど、何故か「大魔王様」とか呼ばれていて、ますますわけがわからない。で、公録も体操(どう見ても体操ではなくただの踊りだと思うのだが)をするだけかと思いきや、たかが3分の番組なので、それだけでは集まった場がもたない。で、合間になんかネタとか、しとるわけですよ、ベタな。ほとんどドリフのでき損ないかと思うようなコントをぬいぐるみ4体が繰り広げるわけです。3体のぬいぐるみが、会話の中で何かにつまって「さて」、「さて」、「さて」と首をかしげていると、残りの一体が「あ、さては南京玉すだれー」と玉すだれをもって登場するというベタベタのギャグを繰り返し演じていて、あんたら幼児相手になんちゅうネタやっとんねんとつっこみを入れたくなる。案の定、会場の良い子達は体操以外の時は知らんぷりだ。しかし、その一部始終をビデカメにて収録した俺も俺だ。後で、たっぷり楽しみたい。

1996年11月9日(土)「本のことなど」

 そろそろここも一周年ということで、正式公開に向けて着々と準備が整いつつあるわけない。いやあ、無理ですなあ。あっさり。「名古屋で生きる」も、方向転換をして、名古屋に関するコラムの積み重ねで行こうなどと考えていたものの、ちっとも書き出せない。ま、無理しない無理しない。というわけで、「名古屋エレキング倶楽部」二年目もテスト公開という名目でスタートするであろう。
 そんなことより、引っ越しを約1ヶ月後に控え、ドタバタしているのである。今日だって、もうすぐベルギーに向けて旅立つ衛藤君の家に赤ちゃんの顔を見る目的で、家族引き連れて安城まで出掛けたり、ま、これは引っ越しとは関係ないが、月曜だって、すくすくぽんの次の日には、長久手のハウジングセンターで行われた「アンパンマンショー」を見に連チャンで出掛けたり、ま、これも引っ越しとは関係ないが。
 京極先生の新作やっと出ましたなあ。読み終えた人はとっくに読み終えただろうが、遅読の僕としては、まだまだこれからだ。発売日を連休前と睨んでいたのだが、結局発見できたのは水曜日であった。とりあえず出たら早めに買っておかないといったん売りきれちゃうんだよね、講談社ノベルズ。配本が少ないぞ。人気の京極先生だから、今回は大丈夫かななどと思ったりしたけど、案の定、次の日には本屋から消えていたぞ。ま、町中は別だろうが。
 ついでなので、ここ数ヶ月で読んだ本を覚え書きに並べておこう。
「コールドファイア」クーンツ
「カーリーの歌」シモンズ
「時間衝突」ベイリー
「星を喰った男」唐沢俊一
「何もそこまで」ナンシー関
「時間飛行士へのささやかな贈り物」ディック
「ユダの窓」カー
「偽のデュー警部」ラウゼイ
 うーん、なんか思いだせんぞ。ま、ともかく新刊追っかけの習性からは脱しつつあるといえよう。一日20分足らずの読書時間なので、こんなもんでしょ。

1996年11月13日(水)「変わったことはありましぇん」

 寒いっすねえ。名古屋は今朝急に冷え込んだ。そろそろ冬ってことで、みなさんもお体を大切に。
 京極をちまちまと読み進め、CDをだらだらと聴く毎日が続いておりますが(SON VOLTとRON SEXSMITHは良いですね>睦夫氏)、特に変わったことはありましぇん。インターネットも見る所は大体決まってきて、Niftyの巡回もパターンをそれほど逸脱してない。ちなみに今巡回してる会議室は、FCOMEDY、FPRINT、FSF2、FSUIRI、FROCKL、FTVA、FBEATの中をちらほら、後は気分でそのとき次第。ホームパーティーが二つ、パティオが一つといった具合で、ほとんどROMだけなので、10分ぐらいでオートパイロットして後読む迄の行為が済んでしまう。
 最近割りと閑散としている「海外SF&ファンタジーPATIO」で、野阿梓先生が、ルビ付きのテキストの作成方法を尋ねておられたので、職業病がつい出てコメントをつけてしまう。今日見てみると、野阿先生とさらに大森先生からレスを頂いている。いつもながらさすがだなあと思うのは、大森望氏はホント痒い所に手が届くようなレスをつけますなあ。僕が言い足りなかったかなあとか、書こうかと思ったけどやめたことなどが全て見透かされたようにフォローされている。それに対してまた何かコメントをつけようかとも思ったけども、蛇足になりそうなのでやめておく。
 カバーページのカウンターも知らない間に1000の大台を越えた。全然宣伝してないのに、ご愛顧ありがとうござんす。テスト公開中なのに、ってしつこいか。さて、15日はここも一周年。並びに名古屋ロフト・紀伊国屋の開店日だが、どーなることか。って、別にどーにもなるまい。

1996年11月19日(火)「工事中であるということ(1)」

 というわけで、何の変化もないまま「名古屋エレキング倶楽部」は2年目に突入しました。ヤッホー。しかしホントになんなんだろーね、このページは。知らん人間が見たらなんと思うことだろうか。なんら有益な情報を提供するわけでもなく、自己紹介をするわけでもなく、はたまた愉快な創作がなされているわけでもなく、時々、工事中である旨のエクスキューズを差し挟みつつ、だらだらと何の変哲もない日常の断片的な記述が続くのみ。いや自分でも不思議なもんであります。それがまた結構続いている。アップデートのペースもそれなりだ。冷静に考えてみると何これって感じだよね。
 基本的に自分が何かを作りたい人々の一群に類していることは承知している。ただ、根本的に根気というものがない。完璧主義という言葉からも縁遠い。だからファンジン作りには向かない。学生の頃から幾つかファンジンという物を作ってはきているが、どーにもツメが甘い。もーちょっと手を加えればというところで、メンドくさくなってしまうのでありますね。紙媒体というやつは基本的には完成形となったものが要求されるわけで、そーなると、完成させなくてはといった意識が強制され、なにはなくとも、とか、必死に、とか、不退転の覚悟で、とか、あたふた、とか、おろおろ、とかいう形容詞(じゃないけど)が襲いかかってくるような気がして、どーにものんべんだらり的気分の方に退避してしまい、結果として作業は進まないという状況になってくるのである。ま、その分完成した暁の喜びは大きいのだけれども。そんなことを考えていると、五十嵐さんから「霧笛」の最新号が送られてきて、その中に五十嵐さんが似たような感想のことを述べておられる。(五十嵐さん、御配送ありがとうございました。)いや、五十嵐さんは立派なファンジンメーカーなので、僕のようにぐずぐずすることなく、紙メデイアもガンガン作っておられるので、似たような感想というのは、紙メデイアに比べた場合のHTMLの環境のお手軽さについてである。
 んーと、今日はちょっとメンドくさくなってきたのでこの続きはまた次回。

1996年11月21日(木)「工事中であるということ(2)」

  で、実際ホームページ作りってのはお手軽なのである。ちょっと気合いを入れてベースとなる部分を作ってしまえば、一応世間に向けて公表できる。後はあちこち手を加えながら更新していけば良いのであって、完成形というものはないに等しい。いや、そういう気分で作られたページの質自体がいいか悪いかは別ですよ。でも、そうした気分を誘発するに至ったホームページの特質って奴に関しては、僕は大歓迎である。だって、何か発信したい情報なりがあったとしましょう。ファンジンの場合は、他の原稿を集めなきゃいけないとか、表紙をどーするとか、あ、平綴じに1ページ足んないとか、その情報を発信するまでにそれなりの道のりがあるわけですよね。僕なんかそーやってるうちに肝心の発信したい情報とか忘れちまうかどーでもよくなってしまう。そこんとこホームページは、発信したい情報だけ、ベースとなる部分にどんどん追加していけばいいのであります。思いつきから形になるまでの距離が短い。僕のような「思い」の持続性のない奴には最適である。
 とーぜん、だから紙媒体はもーだめとかいってるわけでなく、僕にとってどっちがやりやすいかをいってるわけですよ。ちゃんとしたファンジンをもう一度作りたいなどという密かな欲望もちゃんと持ってるわけで。
 繰り返すけど、そーして作られたページの質が高いかどーかは別問題。それはここのページ見てもらえばわかるわけで、いくら思いつきから形になるまでの距離が短いからといったって、結局手をつけなければ、形にならないのは結果的に一緒。ただ、わけのわからぬ日記だけが肥大したスカスカのページが出来るだけである。
 さすがにそのようなものでは恥ずかしいので、申し訳程度に「テスト公開中」の文字を添え、検索エンジン等にも一切登録してない。いや、でもほんとそのうちちゃんとするんだから。ちくしょう、いつか「テスト」の文字をとってやるぞ。と、何度誓ったことでしょうか。ウーム、結局何が書きたかったのか全然わからなくなってきたが、そういうわけで、それまでは何が書いてあろうとここは「工事中日記」なのである。

 


途中データ消失 9612〜9701



1997年2月3日(月)「本読んどります」

 先週からどーも風邪をひいてしまって、ま、遂にといった感じなんだけど、思ったよりひどくならなくて、週末鼻ズルズル状態だっただけで、今日など小康状態なんすけどね。いや、まあ、体は大切にせんといかんなあと。今週は週末東京行きだし、体調整えたく思いますのことよ。
 クーンツ「ファントム」読み終わりましたけど、いやまあ確かに一気に読めますなあ。でもなんかそれだけだなあ。「ライトニング」や「コールド・ファイア」の方が好きだぞ。いや、まあまだ未読のクーンツ本は山程あるので、寸評は差し控えたいが、「ミッドナイト」もイマイチと感じたし、僕にとってクーンツの善し悪しは、感情移入出来るキャラがいるかどうかってとこなのかなあ。わ、なんかこう改めて書いてみると頭悪いなあ。次は多分「ウォッチャーズ」あたりを読んでみるつもり。
 キングの「グリーンマイル」の1巻目が出ていたので早速読む。これから半年、毎月1冊ずつ出るのよね。こーゆーのは一種のイベントだから、その時に読んどかないと風味が落ちるからね。でも実はキング読むのは初めてだったりする。ええっー。「IT」も「ペットセメタリー」も何故か始めの方で投げ出しているという過去があるのだ。そんなバカな。なんかのタイミングが悪かったのだとは思うのだけど、今まで相性悪かったのです。でもずーっといつか読む気ではおったので、この薄さは挑戦しやすかった。で、面白かったしね。いやあこれからキングのあんな名作もこんな名作も読めるかと思うとウフフ。うらやましいだろ。
 現在はグレッグ・ベアの「女王天使」読みかけております。いやあ上の2冊と比べると読みにくいのなんの。ま「塵戦」程ではないすけどね。あれは中編といえど、キツかった。でもスゴイと感じたのだから、やっぱ名作なんでしょーけどね。いやほんと頭悪いな、オレ。

1997年2月8日(土)「東京古本めぐり」

 昨日はPage97で東京出張でありました。7時48分発ののぞみで出発。のぞみは初めてだったけども、特に感慨はない。ま、そりゃひかりとかより早く感じたことは感じたけどね。Pageは毎年行ってるプリプレスの展示会。池袋のサンシャインシティで行われる。ま、展示会の話はここではどーでもいいんだけど、昼になにげに入ったらーめん屋がめちゃウマ。地下にある「らーめんガキ大将」というチェーン店ぽいところで、名前からして何の期待もせず入ったのだけど、「こてこてらーめん」なるもの、しょうゆベースに豚の背脂とにんにく風味で、チャーシュー、麺ともに良しで合格。同行の部長が食した「ねぎみそらーめん」もうまかったそうで、おそるべし東京。こんな店が普通にあるのね。行列つくっとる所とかはどんなにうまいんだろうか期待が膨らむ。  4時に会場を出て、人と会う予定がパスになったので、都電荒川線で早稲田まで。都電は初めて乗ったけども、こちらは感慨深い。趣がありますなあ。前回東京行で果たせなかった、早稲田古書街散策をする。あれえ、昔に比べて減ってないか古本屋。昔って、セミナーとかに良く来ていた10年くらい前の話ですけどね。高田の馬場方面にももっとあったような気がするけどなあ。今回のターゲットは最近の私の盛り上がりで当然ハヤカワ青背の落ち穂拾い。「ゴールデン・フリース」のみで、収穫薄し。  馬場の芳林堂で新刊を眺め、下の喫茶店で一服。6時になっていたが新幹線の時間まであと2時間程ある。あちこち回る時間もないが、なんとなく物足りない。神田はもうしまってる時間だし、うーんと地図を見ると地下鉄で中野まで2駅ではないか。おお、愛しの中野ブロードウェイ。あそこならなんとなく8時くらいまでやってそうな気がする。と、なんの根拠もない確信を抱いて、いざ中野へ。帰りは東京駅まで中央線で一本だしね。
 ついてみると大正解で、中野駅前のアーケードはまだこうこうと明かりがついている。今回は時間がないので、まんだらけは無視。目当ては青背なので、前回見つけておいた4Fの古書ワタナベへ。ここはSF関係充実の書店だけど、いかんせん高い。ま価値を知ってるだけにねという気もするが、お兄さんも悪い人じゃなさそうだし、同姓のよしみもあるしで許す。サンリオとかバンバンあるし講談社文庫の絶版物とかも揃っている。欲しい物はいろいろあったが、こないだから探していた「警士の剣」がこれだけポツンとあったので、これも何かの縁と800円もしたけど購入。2Fにも名前は忘れたけど、絶版文庫中心の店があるが、そこは輪をかけて高い。絶版ではないけどまあまあの値段だったので、ビッスンのTalking manとヴァーリーの「ウィザード」を買っておく。やっぱ文庫を1000円ぐらい出して買うのは間違ってるような気がする。価値があるのはわかるが、その辺の古本屋で1冊50円とかで埋もれてる可能性もあるわけだしねえ。ま、サンリオは別でしょうが。サンリオは学生時代に欲しい物は大体集めてあるので、そんなにいらないのだ。
 30分ぐらい回っただけだが堪能して、バーガーキングで夕飯を食い、東京駅に戻って新幹線に飛び乗る。名古屋へ着いて終バスで帰ってみれば、足は棒。
 そういや、最近リムへの繋がりが悪いぞ。ゴールデンタイムはbusyの連続だ。最近あまり遅くまで起きていないので、upもままならぬ状態。やっぱ、通常長距離電話割引サービスの発表で、一気に加入者が増えたのだろうか。なんとかしてくれ。

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