あらためて工事中日記 【1997.8〜11】 |
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1997年8月12日(火)「ヒマな日」
長女が義妹の家族とキャンプに出かけてしまったので、家の中は静か。次女といえばまだ歩き回ることもできないので、適当にあやしていればよい。久々の何もしない休日。 1997年8月13日(水)「養老・千代保稲荷へ」
長女はキャンプ中。母親の妹であるおばを誘って、お千代保さんこと千代保稲荷へ出かける事にする。自由が丘のおばを拾って、清洲方面より稲沢へ。3年程前に行ったことはあるのだが、場所の記憶がはっきりしていなく、東海大橋の路線上から行けることは判っていたものの、どこだったやらと地図を探す。稲沢に千代町というところがあるので、その辺かとうろうろするも、一向に見当たらない。しょうがないので昼めしがてら茶店に入って確認すると、大橋を渡って海津町より北にあるという。再出発するも、まだ時間があるということで、おばの希望で養老の滝まで足を伸ばすことにする。養老公園の入り口近くに噂の「養老天命反転地」ができていて、入りたかったのだが、メンバーが高年齢層と幼児だったのであきらめる。思ったより広そうなところ。次の機会には入りたい。 1997年8月14日(木)「ブックスタジオ発見」
長女は祖母宅に今日も泊まるというので不在。女二人が衣類の整理などをしているので、赤ん坊の子守に徹する。「徹子の部屋」を何年振りかで見るともなしに見ていると、西村晃追悼とやらで、思わず見入ってしまう。いやあ、いい役者でした。 1997年8月15日(金)「八事霊園に墓参り」
帰って来るはずの長女がちっとも帰って来ないので、先に夕方、八事霊園へ義父の墓参りに出かける。市内にあるので仕方ないが道が狭くて難儀する。駐車場もないしねえ。ま、なんとか停められる。えっちら坂を登った上にあるので眺めは良い。 1997年8月16日(土)「伊良湖岬探訪」
またまた母の義妹よりの誘いで、伊良湖岬へ出かける事にする。9時頃我が家出発で、今回は高速は使わずのんびり行くことに。豊明を抜けて23号に入り、2号、259号とつたって、途中例により道に迷いつつも昼過ぎ伊良湖岬に到着。フェリー乗り場兼道の駅で、おばさんの作ってきたおにぎりを頬張る。その後岬周りでフラワーパークへ。春に行った館山寺のフラワーパークに比べると、規模も何もこじんまりとしているが、それなりになごむ。特産品のメロン1/2・900円なりを、シーサイドファームなるところで食し、ふたたび岬周りで恋路ヶ浜へ。途中伊良湖ビューホテル近辺の峠からの眺めが最高。台風の影響か、高波が押し寄せる様は圧巻。恋路ヶ浜でも、波のうねり来る様子を満喫できた。ま、これでは泳げはせんが、こういう海もまた良し。 1997年8月17日(日)「図書館はやっぱ便利」
昼前に起きるも、うだうだ。休みの最終日ということで、のんびり行きたい。本来なら今日はアンビ恒例夏の例会なのだが、諸事情のため断念。諸事情といっても、主な理由は出かけていく金がなくなったということであるのが情けない。基本的に赤字財政の昨今、あちこち出かけた後の連休の最終というのは、カスカスのカラケツに財布がなっているわけで、家人はせっかくだから出かけたらと言ってはくれるのだが、借金までして出かけるわけには行かない。最近はそれほど高級な店には行かなくなっているとは言うものの、飲み会になることは間違いないわけで、それなりの金を用意していかないわけには、学生時代と違って、いかない。いろいろ話したいこともあったのだが、潔くあきらめておく。 1997年8月18日(月)「久々の出社」
夏休みも終り、今日から出社である。仕事のことは何も覚えていなかったが、それほど忙しくないせいもあり、今日一日でボケはなんとかなっただろう。 1997年8月19日(火)「鶴舞図書館」
というわけで昨日のリターンマッチ。久々に鶴舞図書館に寄る。演芸もの中心に3冊借りようとしたところ、緑図書館での3冊の貸し出しで引っかかる。あー、他館のでもダメなのね。がっくりしたところ、「おうちの方で、カード作ってみえる方がいたら、その方のでも良いです」とのこと。確かに妻にこの間作らせたが、今は持っていない。「そこの用紙にお名前を書き込んでください」というので、いそいそと書き込むと、検索した挙げ句「ああ、この方も3冊借りて見えられますね」おお、そうだった。すでに借りさせていたのだった。あきらめかけると「では、どなたでもいいですからおうちの方のカードを作って下さい」って、あーたそんな。とりあえず親の名前でカードを作る。「保険証かなにか次回お持ちくださいね」って、そんなんでいいの? なんでもありかい。あらゆる手段を使って貸し出しをさせようという図書館のお姉さんの執念を感じ、有り難くもあり恐ろしくもあり。 1997年8月20日(水)「ネットバトル観戦」
今日は別にどうということもなし。 1997年8月21日(木)「家庭を持つ人の日常など」
ちょっと早めに帰ってきたので、滝の水の本屋に出かける。特に何もないが、まんが秘宝の新しい号が出ていたので、次の機会にでも買うか。とりあえずたまっている図書館の本を読まねば。文春も最近買っているので、読まねばならないし、限られた時間でやりたいことは様々ある。独身時代と比べて、自由な時間が減ったかと言われればそうでもない。まあ、確かにすべて自分のペースでやるわけにはいかなくなってくるので、ボーとしている時間や、videoやTVをダラダラ眺める時間は減ったけども、その分パソコンに向かっていたりするわけである。本を開いている時間自体も増えているような気がする。大きく違うのは、ゲームをまったくやらなくなったことだろうか。それでも家庭を持つ前も、それほどやっていたわけではない。そもそもスーファミ自体持っていなかったわけだからね。 1997年8月22日(金)「『上岡龍太郎かく語りき』を読み進める」
帰り、地下鉄を降りるとバスは行った後。悔しいので(別に悔しかないが)、次に来た新瑞行きに乗り、大根荘で降りて、辺りを探索する。それなりに古い住宅街なので、裏側に中途半端に年季の入った商店街などあって、なかなか楽しい。そっから歩いて帰ってくると20分ぐらいはかかる。暑いのにご苦労なこった。 1997年8月23日(土)「長久手の花火大会」
昼間、家人の不要になった服を処分しようと、どうせ捨てるなら古着屋にでも売るかと検討するも、買い取りをする古着屋というのはなかなかないらしい。あきらめようかと思ったものの、質屋でも取り扱っているらしいということなので、堀田周辺の質屋に持っていく。結果はペケで、相当イヤな顔をされた挙げ句、引き取れないとのことだったらしい。帰り道、念のため以前住んでいたところのそばの「質ウエダ」に見せに行く。そこでは、2000円で引き取ってもらえたらしい。買ったときの値段では総額20万円ぐらいするものだったらしいので、あらあらである。古着といっても、ほとんど袖を通していないものばかりだったのに、古本以上に金にならんとはおもわなんだ。そんなもんなのね。 1997年8月24日(日)「カレー屋マタンゴ」
長女はまたしても義妹の家族とプールに出かけたので、家で過ごす。スペースシャワーでサザンの特番「01Message」とかやっているので、録画しつつ見る。インターネットでもReal
Playerを用いた放送をしていたが、途切れ途切れで全然ダメね。やっぱこーゆーのって、専用線じゃないとつらいのかしら。 1997年8月25日(月)「Books野並」
帰り、御器所で桜通線に乗り換え野並経由で帰る。野並でBooks野並に寄るためである。この辺ではまあまあ大きな本屋。3階にアニメ系の店が入った、昔の三洋堂みたいな店である。まんが秘宝の2と唐澤俊一の『カルトな本棚』、ナンシー・A・コリンズの『フォーリング・エンジェル』を買って帰る。 1997年8月26日(火)「デジモン入手」 長女が友達の影響か、最近やっと「たまごっちか恐竜のやつが欲しい」などと言い出すので、会社でその話をすると、吉田さんが家に買い置きしてあった(!)デジタルモンスターを1つ持ってきてくれたので、早速購入する。帰宅し、手渡すと長女は大喜び。とりあえず育て方をこちらが学び、レクチャーしなければならない。こーした単純なタイプの育てゲーに、僕自身はあまり魅力を感じなかったので、今まで見向きもしなかったのだが、そうも言っておられない。説明書をざっと読み、操作方法を説明する。孵化させて1時間程はピーピーピーピーと大騒ぎである。しかしこれ、夜はずっと寝ておってくれるのだろうか。長女は「学校行くようになったらおばあちゃんお願いね」などと言ってあっさり断られていた。とはいえ結局大人が振り回されるようになるのだろうな。そーゆー意味でも現実のペットと同じなのね。 1997年8月27日(水)「01 Message」 日曜日に録画しといたサザンの特番「01 Message」を通して見る。うーむ、やっぱサザンは良いな。番組自体はまあ、中途半端に「レット・イット・ビー」を意識した、どーということもないものであったが、未完成の新曲群がまとめて聴けたことは収穫。どれもこれも良し。最後は屋上ライブとかやったりして、まあ、まず大丈夫だとは思うが、来年20周年ということで一通りコンサートツアーやった後、解散なんてするんじゃねえだろうな。なんか番組中の萩原健太との対談でも思わせぶりではあったが。 1997年8月28日(木)「なんもなし」 特に何もなしの一日。文春、ブロス等を読んで、録画しといた「カウントダウン」の特番等を見つつ寝る。 1997年8月29日(金)「さらになにもなし」
今日は今日とて何もなし。会社の方も嵐の前の静けさか、取り立てて忙しくもなし。 1997年8月30日(土)「夏の終りの花火大会」
またまた義妹の家に泊まりに行っていた長女を迎えに行きがてら、母を自由が丘の叔母の家に送り、星が丘へ。義母、義妹家族と長久手の「浜木綿」で、昼飯。Bランチ880円はなかなかお得。台湾風酢豚がかなり辛かったが。 1997年8月31日(日)「大府アピタへ」
TVでは、まる子ちゃんやカツオが、宿題の残りに四苦八苦している。今日で夏休みも終りというわけだ。勤め人になって、さほど関係がなくなったこの日付も、学校に通うようになった娘を抱えるようになって、また再び意味を持つようになった。といってもまだ1年生では宿題の残りもなにもないわけだが、彼女にとって明日から確実に生活が変わるわけだ。 1997年9月1日(月)「銀背購入」
帰り、いつものように古書店街をぶらついていると、山星書店の棚ざらしに銀背がどどっと並んでいるのを発見。念のため書いとくと、ハヤカワSFシリーズの事ですね。500〜800円とたいして安くはなく、一頃に比べれば安いかも知れないが、ここんとこそんなに高くないようなのでなあんだと思ったものの、一通り物色。とりあえず「宇宙恐怖物語」と「観察者の鏡」を購入しておく。学生の頃は、海星堂とかにズラズラと並んでいても、高くて買う気がおきなかったものだし、その後あまり見向きもしなかったのだが、今は欲しい。いつ読むとも分からないのだが、まあいいか。 1997年9月2日(火)「WIN不調」
どーも、winの調子が悪い。8月半ばにマザーボードを430TXに交換し、CPUも以前もらったままほかっていた166につけかえたのだが、今までまあまあ調子良かったのにな。突然CD-ROMを認識しなくなり、セカンダリのHDも互換モードでしか認識しない。しかも3回に1回しか起動しないというひどい有様。うーむ、まとまった時間が取れないのでとりあえずほっておかざるを得ない。 1997年9月3日(水)「創元リスト到着」
床屋に寄る。こちらに移住してからずっと行っている原駅の床屋である。安くはないが、仕事が丁寧で好感が持てるので通っている。おまけともいえるマッサージ等も実に手抜きなくやってくれ、親父とも不思議と話が合うので、不満を覚えたことがない。親父に「今、32歳ぐらいでしょう」と云われ、図星なので驚く。客商売おそるべし。 1997年9月4日(木)「ウィンドウズ・スタート」 「月刊WINDOWS START」という雑誌はその名の通り初心者向けの雑誌なのかと思って馬鹿にして見ていなかったのだが、パラパラめくってみると今月号に「ウィンドウズ95の重要チェックポイント100」という特集が載っていて、それがまた微に入り細に入った記事であったので、驚いて購入する。もちろん決して上級者向きというわけではないのだが、コントロールパネルの全解説やシステムのプロパティの全解説など、うっかり見過ごしてきた重要な事柄が多くとてもためになる。ま、僕が勉強していなかっただけなのだけど。だってファイルシステムのパフォーマンスで、RAM32MB以上ならば使用目的を「ネットワークコンピュータ」にした方がパフォーマンスが上がるなんて、ついこないだまで知らんかったのだぜ。誰か教えてくれよ。 1997年9月5日(金)「SF翻訳出版活況」
今週に入って、更新をサボっているので一気に巻き返しを図る。なんか、知らん間にカウンタの数字がガンガンあがってるんですが、誰か悪さした? 1997年9月6日(土)「同僚来たる」
出勤日。会社が終わったその足で、中野大先生と野呂君が我が家にいらっしゃる。野呂君がうちのPCを改めて見たいというのが名目だが、win絶不調の折、とりたてて見せるものはない。中野ピョンキチはどらエモンのシール切手、野呂君は「ワンワン物語」なる大変怪しげな中国製のたまごっちバッタモンを、それぞれ娘へのみやげに携えてきてくれた。すまんのう。 1997年9月7日(日)「win復旧と古本屋の日曜日」
なんとか昼前には起きる。とゆーか、10時半には起きていたから、俺も立派になったものだ。一頃は、日曜日というものは昼からしか存在しないと思っていたぐらいだからな。 1997年9月8日(月)「特になにもなし」 うんと、特になにもなし。夜はたまっていたデジカメのダビング。VHSに落としておくのみだが、それなりに時間がかかる。デジタルで残しておいた方がいいに決まっているが、テープも高いからねえ。も少し安くならねえか。せめて60分500円。 1997年9月9日(火)「会社のPC選び」
朝から前夜の残り雨。小雨程度だが、バスが普段の倍の時間かかり、遅刻。ったく、しょーがねえよな。雪じゃあるめえし。 1997年9月10日(水)「会社の話」
会社の方は、打ち合わせ等で一日が過ぎる。システム導入の件である。まあ、ずーっと前からやいやい言っていたのが、やっと動き出したと思ったら、まあバタバタである。いつものことなのだが。おかげで、あっと言う間に一日が過ぎる。 1997年9月11日(木)「二丁目芸人のことなど」
昨日はホクホクしとったわけなのだが、ソフトの方はあちこち不具合が見つかり、しかも定例会議でもなんかいやな気分になり、帰ってくる際には少々不貞腐れている。 1997年9月12日(金)「NTが来た」
昨日、早くも会社で注文した東芝のPC3台がどどんと届いた。まだ中身のアプリが届いとらへんっちゅうの。しょうがないので、今日一台開ける。おお、Pentium
II 266! おお、NT! NTは初めてなので少しとまどう。ネットワーク関連のことだけきちんとやっておけば、まあなんとかなるっしょ。 1997年9月13日(土)「大雨の中津川行」 マイカル桑名でも行こうかという話が、予定変更になって、あてどもなくとりあえず「涼しいとこ」という条件のみで、10時頃我が家を出発。「涼しいとこ」ったって、あーた、雨降りまっせ、台風来とるのやから。しょーがないので、長久手方面から瀬戸に抜ける。ここまでですでに1時間経過だ。岩屋堂公園なるところに向かうが、降りたとたんに雨。しかも遊ぶとこなさそう。車にUターンして、そのまま北へ。多治見に出る。そこで母が「中津川にそば食いに行こう」と言い出すので、中央道のインターに乗る。これがまた混んでる。そーか、連休の初日なのね。やっとの思いで中津川。19号沿いの「くるまや」なるそば屋。有名ではあるらしい。満席。なんとか座って、腹いせに盛り蕎麦と掛け蕎麦の両方食う。思ってた蕎麦ではなかったものの、まずくはない。黒い蕎麦が好きな人にはお勧め。店を出た時点で、すでに3時だ。小雨は降ってるし、子供を遊ばせるところもない。仕方なく、稲武−足助経由で帰ることにする。山間部に入った途端猛烈な豪雨。前も見えんような状態。なんか知らんが、わし、岐阜県行く度に大雨に振られるような気がする。山越え、川越え、伊勢神トンネル越え、足助に差しかかるとやはり猛烈な渋滞。ここはいかんですよ、ホント。必ず渋滞する。紅葉にはまだ早いし、雨だしとタカをくくっていたが、甘かった。構造的に渋滞するようになってるのね。30分程そのまま進むが、香嵐渓に入ったところで我慢仕切れずUターン。藤岡方面から抜けることにするも、凄い山道。勾配はたいしたことないものの道が凄い。山あいの村落の中の道はとーぜん、対向などすれ違えない。まあ、基本的にこーゆー道は好きなのだけど。なんとか抜けて豊田へ。153沿いに帰ってきた。さすがに疲れてバタンキュウ。 1997年9月14日(日)「ボーリング等」
10時頃にはなんとか起きて、のんびりするかと思っていたら、義妹からTEL。矢田川でバーベキューをやろうというのだが、雨降りまっせ。計画を変更して、ボーリングをすることに。途中、公園など寄って、不二家で昼食を取った後、笠寺の富士ボウリングへ。ここは、子供用にガーターをつぶせるので、よく利用する。おかげで、わしもガーターなしだ。それな夜は夜はのに、80台のスコアとはどーゆーわけだ。 1997年9月15日(月)「自室の模様替え」
起きると12時半。おお、昼過ぎたのは久々だな。起きていきなりお好み焼きを食わされる。まあ、家人にとっては昼食なので当たり前か。 1997年9月16〜20日(火〜土)「特になにもない一週間」
おお、早速サボってしまっている。この一週間会社に通う以外、特になにもないので、まとめて書いておく。久々残業ウイークではあった。 1997年9月21日(日)「久々の覚王山」
何を隠そうこのわたしは覚王山生まれである。覚王山、王の目覚める山ですぞ。そこで目覚めたわたしは、5歳までであるが、日泰寺参道沿いのアパートでお過ごしになったのですな。だから、日泰寺の境内や参道沿いの店はそれぞれ馴染み深い思い出の場所である。毎月21日には弘法さんといって、参道沿いにズラズラと出店が出るのであるが、今日は久方振りにそれに行ってみようということになり、午後家を出る。ちょうど、TV愛知の『オイシイのが好き』でも覚王山特集をやっており、顔見知りの店が映ったりしていた。 1997年9月22日(月)「久々の終バス」
久々に帰りが遅くなり終バス。ま、昔に比べるとこのバスの制約のおかげで、遅いと云ってもたかが知れている。基本的には日付が変わる前には帰りたい人なので、以前からそんなに無茶な残業はしなかったけどもね。夏場は大体残業が少ないので、そろそろシーズンかなってとこはあるけども。システムも入れ替わることだしね。 1997年9月23日(火)「また瀬戸行」
休日。午前中、家人達は、自由が丘のおばさんを迎えに出かけたので、昨日つけなかったパソコンのスイッチをつける。SFのメーリングリストが開設されたようなので、興味本位で参加してみることにする。早速活況なようだ。メーリングリスト自体は、他に森さん中心のTech-Pen
MLや、会社関係でDTPやPDFのMLに入っておるわけで、またまたメールの数が増えそうだ。 1997年9月24日(水)「BLT最終回」
実は今まであまり見れなかったのだが、日テレ系「TVじゃん」の水曜枠「BLT」が、今日で最終回となった。大竹まこと、東野幸司、板尾創路の3人が数々の企画をこなしたこの枠は、古くは「EXテレビ」火曜枠の上岡龍太郎・島田紳介コンビ、はたまた島田紳介・大竹まことコンビのよみうりテレビ制作の流れを組むものであったようで、数々の実験的試みがなされたようである。EXテレビの頃は、毎週欠かさず見ていた。この企画から「なんでも鑑定団」が生まれたというのは有名な話。それ以外にも数々の番組に企画がパクられている。島田・大竹コンビの頃からほとんど見れなかったが、たまたま見ると、TVの放送機材をひとつひとつなくしながら放送を続けるという、まるでTV版「残像に口紅を」みたいなことをやっていて仰天したものだ。 1997年9月25日(木)「大介のラーメン」
昼飯はここのところずっと会社近辺で外食している。まあ、鶴舞という土地はとりあえず都心に近いというかまあ都心のはずれなわけで、会社近辺でも食事ができるところは少なくはない。しかしながら、毎日ということになるとさすがにどこも飽きてくる。で、時には足を伸ばして大須や東別院方面にも足を伸ばすわけだが、さすがに遠い。 1997年9月26日(金)「独り言系の方」
あの、よく電車の中や道端で独り言を言ってらっしゃる方々がお見えになりますよね。毎朝の通勤バスでも一人、3つ先の停留所から乗ってくる人で、頼まれもしないのに、乗車整理をしたり、運転手さんに指示を出したりしてる人がいるだが、今日の帰りのバスに乗り合わせた方はちょっと異質だった。 1997年9月27日(土)「野呂家訪問」
今日は、ずっと以前から計画されていた会社の野呂君の家に午後から伺う。場所は堀田。名古屋のブロンクス、堀田である。いーのかインターネットでこんなこと書いて。 1997年9月28日(日)「運動会日和」
昨日までの薄曇りの天気が起きると快晴。雲一つなくまさに運動会日和である。というわけで、長女の小学校の運動会。家族全員プラス義母、義妹、その長男とで応援に出かける。風が少々きつかったが、からっとしていて実に気持ちが良い。こんな日に家に閉じこもっていた奴は誰だ。 1997年9月29日(月)「430TXマザーの秘密」 また変だぞWindows。ちょっと目を離すとCDを認識しなくなっている。うーん、なにも状態は変わってないはずなのに。不安定過ぎる。と、思っていたら、今日発売の日経WinPCに仰天記事。なんと430TXマザーは、OSR-2のバージョンでないと、ちゃんと動かないらしい。そんなのってありか。そもそもOSR-2ってのはプリインストールのものでしか入手出来ないんじゃなかったっけ。自作派の人はどーすんの? ったく、そんなこったろうよ。 1997年9月30日(火)「I.E.4.0試用」 いよいよ明日正式公開が迫ったI.E.4.0だが、実はまだプレビュー版も試していない。なんか重そうだし、システムぐっちゃぐちゃになりそうで、不安定極まりない今の環境に導入する気にはなれなかったのだが、会社の方のPCはまあまあ落ち着いているので、アンインストールを前提に、インストールしてみた。うーむ、いいじゃないの。チャンネルはちょっと邪魔だがoffにすればいいし、アクティブ・デスクトップもちゃんと使えば、やはり便利だと思うぞ。シングルクリックにはやはりとまどうが、正式版はダブルクリックデフォルトだそーだし、いいか。というわけで、来月末の雑誌発売時には正式版インストールしてしまうでしょう。
おお、今日から10月だが、わしはまだ半袖だ。随分涼しくはなってきたものの、朝の通勤バス地下鉄がまだ蒸し暑い。他は別になし。 1997年10月2日(木)「再インストールの予感」 とりあえず、CD-ROMを認識してくれない状態はいやなので、ドライブを以前の4倍速のものに取り替えてみる。おお、ちゃんと認識するではないか。つぅと、CD-ROMドライブがいかれてしまったということ? まだ半年程しか使ってないのになあ。真相は今だ不明。会社からOSR-2を借りてきたのでインストール使用としたのだが、今の状態にはアップデート出来ないようだ。エー、また環境一からやり直し? 気力がないので、休みの日にするか。 1997年10月3日(金)「ナディアパーク」 帰り、野並経由で帰る。本屋に寄るも収穫はなし。帰ってくると、求職中の妻が職安で見つけた会社の人事に呼び出されているという。結果は採用。なんとナディアパークの中に事務所があるという。いいなあ。 1997年10月4日(土)「イトーヨーカドーとオールスター感謝祭」
土曜出勤であったが、有給休暇を取る。子供二人の調子がおかしいので、午前中は医者に連れていく。たいしたことなく、午後からは、最中方面に出来たイトーヨーカドーに出かける。うーむ、広いことは広い。しかし、アピタやジャスコと比べて決定的にどこが違うかと言われると困るなあ。概ね品揃えは豊富という印象は受けたが、人がとにかく多すぎて疲れた。 1997年10月5日(日)「免許更新」
朝、免許更新に行って来る。うーむ、平針に近いのでとってもラクチン。10時半頃行ったのだが、スイスイと進んだ。朝早くの方が混んでるかもしんない。折角無事故無違反だったのに、講習が義務づけられるようになってて無念。しかし、おざなりと云えばおざなりな講習。 1997年10月6日(月)「ごっつスペシャル」 夜は、昨日録画しておいた「ごっつスペシャル」を見る。エキセントリック少年ボウイは、耳について離れないのが悔しい。もう飽きたぞと言いたいところなのだが。「フォトバトル」の岸辺四郎には爆笑。あとはまあそんなものか。コントはしばらくやらぬのだろうか。 1997年10月7日(火)「記憶なし」 どーということもない日。ま、そんなこと言っとったら大半の日がそうなんだけどね。ま、この日記もまとめて書くことが多いようになってきたので、はっきりいって記憶がないというのが正直な所。細かいことはなんかあるんだろうけど、忘れたよあたしゃ。 1997年10月8日(水)「何もなし」 今日もなにもないぞ。だったら書くな日記を。ま、明日は出張なので、いっぱい書くことあるのでまあいいでしょ。 1997年10月9日(木)「東京ビッグサイト初訪問」
6時半前起床。7時前のバスに乗り、8時4分発のひかりに間に合わねばならぬ。今回は部長が同行するので、道中はヒマがつぶせる。というか本が読めぬなこりゃ。 1997年10月10日(金)「ちかれた日(とほほ)」
終バスは、とーぜんもう無く、野並まで迎えに来てもらって帰ると、12時半前。寝たのは結局2時半ぐらいか。腰と足が棒のようになっているので、とにかく泥のように眠り、起きると昼の12時半。 1997年10月11日(土)「CD借りまくり」
実は先週の日曜日にあたりをつけてあったのだが、植田のサウンドベイが、1のつく日にレンタル半額というのを実施し始めたので、早速午前中から出かける。いや、今年に入って全然アルバム聞いてないんすよ。いつものようにシングルをどかどか借りて、アルバムも、スガシカオ、奥田民生、Puffyソロ、山崎まさよしと借りてくる。全部でカードの更新料含めて2泊3日1500円ぐらい。安い安すぎる。 1997年10月12日(日)「偶然の見学者」
午後から大高緑地内の公園に出かける。途中、鳴海の辺で祭りと遭遇する。ありゃ、山車とか出ているなあと、車の外を眺めていると、踏み切りの手前の交差点で停められる。見物客も結構いて、猩々の面をかぶった人々など、祭り気分満点。そのうち神輿が交差点でぐるぐる回りだし、図らずとも最前列の特等席で見物するはめになった。すかさず、ビデカメで、一部始終を撮って得した気分。5分ほどで交通規制は解除されたが、去っていく祭りの一群に「お幸せに」の掛け声とともに、塩など撒かれ、車は塩まみれとなる。 1997年10月13日(月)「『ごっつ』終了へ」
突然のヤクルト優勝試合放送に抗議して、松本人志が『ごっつええ感じ』を降りるというのを受けて、『ごっつ』打ち切りだそーである。えらいことになったものだ。NiftyのFTVAで第一報を見たのだが、予感は確かにあった。会議室でも物議を醸していたし、そもそもあの日、7時にいきなりエキセントリック少年ボウイではなく、木佐アナが画面に移った瞬間も、松ちゃんはこのことを知っているんだろうかとぼんやり考えたものだ。松本人志にとって、一応『ごっつ』はメインの番組であったはずで、それだけ意気込みも他の番組とは違っていただろうことは判っている。今回のこの騒動が是であるか非であるか、そんなことはどうでもいいのだが、松本の行動が大人げないものだと言えば言えるだろう。ただ、それを非難しようという気持ちは特に起こらない。 1997年10月14日(火)「ボキャ天そろそろいいぞ」 ボキャブラがゴールデン枠に移ったわけだが、うーんさすがそろそろ飽きてきたかな。基本的には好きで、ほとんど見逃さずに来ているのだが、そもそも普段あまり見ることのできない若手芸人が見れるからというのが、ワンコーナーだった頃から見てきた理由だったのだが、その役目もとりあえず終わったような気がするし。フジは『ごっつ』の後番にもキャブラーとか使うんだろうか。 1997年10月15日(水)「王が目覚めた日」 一応、誕生日ということで、めでたいことである。33歳ということで、なんか良くわからないが、充分もうおっさんなんだなとは思う。恐ろしいことである。 1997年10月16日(木)「風邪気味」
どーも、風邪気味のようで、調子悪い。朝など起き上がるだけでも苦痛。微熱があるようだ。会社でも、午前中はふらふらするが、昼飯を食ったらなんとなく好転。 1997年10月17日(金)「OSR2インストール」 いい加減、腹が立つので、会社からOSR2を借りてきて、HDのフォーマットから再インストールを敢行する。あれこれと深夜に及ぶ作業だったが、結局、状況はさして変わらず。どーも、BIOSの設定に問題があるのだろうけども、よくわからんぞ。釈然とせぬまま寝ることにする。 1997年10月18日(土)「再インストール続き」
再インストールの続きをあれこれといじくるが、どーもすっきりしない。まともに一回で起動してくれないし、なんかの加減ですぐハングする。おいおい、状況はますます悪くなっとるぞ。グラフィックのアクセラレータの設定をなしにすることで、ハングする状況は回避できたが、これではなんもならんぞ。ま、フォーマットしなおして、環境を整理しなおせたことだけが収穫か。 1997年10月19日(日)「東山動物園参り」
休みといえど、休む暇はない。今日も知らんうちに東山動物園に行くことになっており、11時頃出発。星ヶ丘口で、義母と甥と待ち合わせ、園内へ。いやあ、こんなにたっぷり回ったのは久しぶりだな。幼き頃から、近いということもあり、ここへは数え切れないくらい来ているわけで、近年も年1くらいの割合で来ているとは思うのだが、なかなか全部は廻らない。今日も全部は廻っていないのだが、それでも4時ぐらいまではいたわけで、歩き回ってとにかく疲れやした。 1997年10月20日(月)「夜泣きドライブ」 あまり夜泣きなどすることのない次女が、珍しく異様に泣く。原因も分からず、なかなか泣きやまないので、試しに外に連れ出す。ぐるっとドライブして戻ると、すやすや眠る。かなわんなあ。 1997年10月21日(火)「松本インタビュー」 週刊朝日にて松本の独占インタビューが載るというので、なにはなくとも購入。ざっと一読するも、まあ納得。よーするに、信用できん奴とは仕事でけんわっちゅう話。視聴者サイドのことを視野に入れると話はややこしくなるが、まあ、ええでしょう。それで、天狗とか云われるんであれば云わせておけばいいし、云われてつぶれるならそれだけのものであるわけで、今回の行動は俺的にはギリギリセーフってところである。新ひとりごっつでもコントをやるようだし、まだ場所に困るというところまでいってないようなので、いいかってなもんですな。 1997年10月22日(水)「ポール・ベスト」 野呂君にポール・マッカートニーのアルバムをどかどかと借りている。ベストを作ってくれとのことで、80分テープも渡されている。久々の編集だが、やはり始めるとハマルなあ。曲順というか流れが命ですからな。半分ほど完成。昔はそれこそ死ぬほど作ったものである。んー、しかしやっぱMD欲しいのお。 1997年10月23日(木)「バタバタ」 仕事で一件トンデモ物件が舞い込み、忙殺される。おかしい、今日は余裕ある予定だったはずなのだが。文春とブロス買って帰るも、ほとんど読まずに倒れ伏す。 1997年10月24日(金)「風邪襲来」 昨日バタバタしとって、なんか疲れたなあなどと思っていたら、風邪が悪化したようだ。朝非常に苦痛であったが、昨日の続きで気になることがあったので、ムチうって出社。非常に調子悪い。昼前にギブアップして、午後から帰ることにする。妻に鶴舞の社会保険事務所を教えることになっていたので、そのままとりあえず待ち合わせの上前津へ。大須できしめんを食って、事務所の場所を案内し、取り急ぎ帰る。少し歩いたのでますますバテる。布団を敷いてバタンキュー。鼻がひっきりなしに出て頭が痛い。 1997年10月25日(土)「風邪襲来2」 状況はあまり好転せず。とりあえず頭の痛みはなくなったが、今度は咳だ。体力を消耗する。なにもできず、布団にくるまる。本も読めない。そのまま夜。 1997年10月26日(日)「風邪襲来3」 ちょっと持ち直したかなと思うが、やっと普通の風邪といった感じである。咳が残り、体はだるい。胃腸の調子もおかしい。しつこい風邪だな今回は。どこへも行かず、寝たり起きたり。二日間パソコンの電源を入れなかったが、そんなことは久しぶりだな。2周年に向けて、このサイトの整理もしようかと思っていたが、とても無理。とりあえず日記だけまとめる。 1997年10月27日(月)〜31日(金)「10月最終週」
あー、しばらくサボってすまんすまん。日々のよしなしごとは遠い記憶のかなたに飛び去っているので、短縮バージョンでお届けする。 1997年11月1日(土)「サウンドベイの日」 出社の土曜である。帰りに家人に植田まで迎えに来てもらい、サウンドベイへ。半額の日である。今日はシングルを中心に借りるが、結構出ていたな。香取慎吾&原由子の『みんないい子』がお気に入りである。WOWWOWのサザンの特番で、桑田と原のデュエットとして一度聴いていたが、完成度の高い名曲である。香取の歌声には不満が残るが、次のサザンのアルバムに桑田バージョンが入ると見た。 1997年11月2日(日)「静かな日曜」 夜まで家でゴロゴロ。母と連れ合いの母と二人で富士山のふもとまで、昨日から旅行に行っていたので、夜は名駅まで迎えに行く。その帰りに末盛の「浜木綿」で、遅い夕食。外食をするといつも義理の母のおごりになってしまうので、申しわけない限りである。 1997年11月3日(月)「白鳥公園」 義理の母と妹と息子、うちの家族でぞろぞろと白鳥公園に出かける。次女がヨチヨチと歩くようになったので、外でも練習させねばならない。白鳥は過去にセンチュリーホールに森高とゴーバンズの合同ライブと、プリプリのライブを見に来たことがあるが、公園自体は初めてである。ま、なんにもないといえばなんにもないが、芝生に寝ころがってのんびりと過ごせる。ピクニック気分で夕方近くまで過ごした後、イトーヨーカドーで買い物。娘たちに揃いのクマの毛糸の帽子を買ってやる。 1997年11月4日(火)〜7日(金)「11月第1週」
今週は、連れ合いの仕事が忙しかったようで、ヒマであった自分に比べ帰りがずっと遅かった。しかし、以前に比べて愕然と残業量が減っているが、いいのだろうか。ま、早く帰ろうと心がけているのは心がけているのだが、9時10時当たり前だった時分は遠い過去である。年が明ければ、いやでも忙しくなるとは思うのだが。 1997年11月8日(土)「七五三参り」
長女の七五三である。着物等も新調し、連れ合いも母も大張り切りである。しょーがないので、ベガで車でも磨く。美容室で着付けと頭を整えてもらった長女を乗せ、義理の母も誘い、熱田神宮へ。わしも正装させられる。まあ、イベントというのは何事もやるならちゃんとやった方が良い(やらないなら何もしなくて良い)という考えなので、まあよい。祈祷も受け、きよめ餅も買い、ロイホで昼食を採り、いったん家へ。 1997年11月9日(日)「理想的な日曜日」 10時半頃起きて、朝飯を食い、ゴロゴロして、昼飯を食ってから、長女と自転車で近所の公園へ。再び家でゴロゴロ。夜は鍋で夕食。うーん、わしにとっては理想的な日曜日なのだが、こんなんじゃ書くことがなにもないぞ。いいけど。 1997年11月10日(月)〜14日(金)「グチなど」
ここんとこすっかり日曜日夜の更新グセがついてしまっとるのお。しかも日記のみ。会社の中野や野呂には「手抜き」「内容が薄い」と罵られる始末。その通りである。どうだまいったか。わはははは。 1997年11月15日(土)「2周年だって」
昼から、イトーヨーカドーに買い物。その前に、笠寺方面に足を伸ばし、看板が気になっていたNETWORKなる古本屋に向かう。うーん、やっぱり以前鶴舞にあったあの店か。まずまずの品揃え。廣済堂文庫の山田風太郎が2冊あったので買っておく。今週の通勤の友は『妖異金瓶梅』であった。確かに奇書てな感じですなあ。おもしろいにはおもしろい。 1997年11月16日(日)「はとこ来る」
基本的に一日家で過ごしたわけだが、午後、叔母といとこ夫婦が夏に誕生したばかりの女の子を連れてくる。わしにとっては『はとこ』というのにあたるのだよね。 1997年11月17日(月)〜21日(金)「金欠の日々」
給料前で苦しい日々が続いております。おまけに週末は連休じゃないか。けしからん。ま、なんとかなるのだけども。 1997年11月22日(土)「雨の日」
連休の初日は雨である。長女は子供会の遠足であったが、雨天パターンのボーリングに変更になり出かけて行った。昼は、安く大量に買えたというたらこが山ほど冷蔵庫にあったので、たらこスパゲティを作る。冷凍のシーフードなどもあったので、バターでソテーして白ワインで臭みを消し、付け合わせにする。スパゲティをゆですぎて一人弱分ぐらい余ったので、ケチャップとワインとトマトで即席のトマトソースを作り、かけて食べる。というわけで、結構休日の昼飯は厨房に立つことが多い。味はいい加減だが、希にうまいものが出来るときもあるし、おおむねヒドイものは出来ない。店を持って人に喰わせようとするには、毎回一定の味を提供しなければならないわけで、そーゆーのはどーも出来そうにない。実験精神旺盛というか、同じものをつくるでも、毎回違う作り方をして失敗したりしてしまう。ま、趣味なんてものはそんなもんでいいのだ。 1997年11月23日(日)「四日市行」
お歳暮などにするうどんをいつもの三重県川越町大矢知まで取りに行く。1号沿いにつらつら出かけるわけだが、いつものことながら途中あちこちの古本屋に寄ることになる。前にも書いたが、三重県には「超書店」なる万陽書房のBOOK・CD・GAMEの大型リサイクルショップがあちこちにあって、どこもBook
Offなどより規模が大きい。文庫の品揃えは圧倒的なので、名古屋人としてはうらやましい限りである。結構古い文庫などが格安でゴロゴロしていて、ちゃんと作者別・出版社別に分類されているので、探したい文庫がある場合は新刊書店行くより、ここへ行った方が確実に見つかるのではないか。今回は、山田風太郎ものを主眼として探索した。山田風太郎も僕にとって、読まずにとってあった作家であった。高校の頃、うっかりテスト期間中に『魔界転生』を読みはじめてしまい、寝食を忘れて没頭してえらい目に遭った経験から、今まで封印してあったのだが、今年に入っていくつかの忍法帖を読み、勢いがついてしまった。忍法帖は先年講談社新書から二期に渡る選集が出版されたばかりだし、忍法帖以外でもここのところ毎月、ちくま文庫、廣済堂文庫、ハルキ文庫から各種選集が出版されていて、一頃に比べれば非常に手に入れやすい状況というか一種のブームになっている。とはいえ、角川文庫で出ていたあのピンクの背表紙のシリーズが手に入れたい。あれをすべて集めようと思いつつ今までほっといただけに、手に入らなくなった現在、他の手段で読めるとはいえ、そこはかとない拘りがあるのだ。新刊書店では手に入らなくなったとはいえ、古本屋をこまめに探せばまだまだ手に入る状況なので気長に集めたい。で、今回も桑名と四日市2軒、計3軒の超書店を巡って6冊のピンク背を手に入れた。予算の都合で買い残して来たものもあるので、かなりの収穫率だ。 1997年11月24日(月)「連休最後」 遅く起きたので、昼頃から出掛ける。BS1で1日中古い子供番組の特番をやっていたのでゴロゴロと眺めたかったのだが、家庭持ちはそーゆーわけにもいかないのである。昨日持ってきたうどんを以前実家のあったお隣さんと自由が丘の叔母のところへ持っていくというのが主目的で、途中公園に寄ったりスーパーに寄ったりするわけである。帰りがけに八事を通ると、ヤマナカ系列の新スーパーが開店しているので、買い物が済んでいるにも関わらず、ふらふらと寄ってしまう。こーゆーところがうちの家族のいかんところではある。金もないのに節約という言葉とは無縁の行動をしてしまう。見た目は土地柄、山の手系の高級スーパー風だが、置いてあるものは少し目新しいものはあるが、普通のヤマナカとそうかけ離れてはいない。ハロードゥインターナショナルのように高級食材ゴーロゴロといった感じでもないので、胸をなで下ろす。開店直後ということもあり、大盛況ではあったが、近くにジャスコもあることだし、この先どーなるのだろうか。知ったこっちゃないが。 |