名古屋エレキング倶楽部 第二回 LACTOSE 11月号〔1988.10.31発行〕掲載
第二回は、TVコラム。というか、当時の名古屋ローカルの深夜番組の紹介である。
オールナイト・フジを筆頭とする深夜テレビ番組は80年代中ごろにピークを迎え、そして拡散していった。それはあくまで在京キー局を中心に繰り広げられ、名古屋をはじめとするローカルにはネットされないことも多かった。(オールナイトフジも放送されていない)。一部の真似事番組(平野文司会の女子大生集合番組【東海テレビ】とかあったなあ)を例外とし、ローカルでの深夜番組が活性化してきたのが、やっと80年代末のこのころであったようである。
10年も前の話ではあるが、今人気が頂点のタレント達が、名古屋の深夜で活躍していたという事実はなかなか感慨深いものがある。
秋である。 まずは中京テレビ。ここは在名TV局のなかでももっとも自社制作番組が多いことで有名なんだけど、過去にも『景山民夫の大人気セミナー』(WAHAHA本舗が出ていた)注1、『BBS放送局』(藤村俊二司会で、初期の赤信号やでんでんなどが出ていた。小西博之もこれがデビューであった)や、現在の『早見優のアメリカン・キッズ』(早朝の十五分番組。優ちゃんが人形たちと一緒に、毎日子供向けに英語を教えている。テキストなどもちゃんと出ている)注2、知る人ぞ知る『5時SATマガジン』(大竹まこと、いんぐりもんぐり司会。ニューウェイブっぽいノリとイモっぽい企画が奇妙に融合され、しかも構成はわりと洗練されているという稀有な情報番組)注3などの好番組を成功させている。(『お笑いマンガ道場』というのもあるが……) その中京テレビが、系列局の深夜編成をまったく無視した独自の深夜編成を組んだ。ここの深夜編成は夏休みに三年続けて一ヶ月間放送された『ミッドナイト・ギグ』(野々村文宏司会。円谷の旧作品や特撮・SF物を放映する)注4という実績がある。
かわってCBCでは、月〜木帯の三十分番組『デイ・ブレイク』(0時10分〜)をスタートさせた。小コーナーに分かれていて、「渡辺正行の恋愛講座」、「クイズ出たとこ勝負」(ウッチャンナンチャン司会。回答者は円広志、黒木香、サンコン。ムチャクチャだ)、ウッチャンナンチャンのドラマ「愛の狩人」、そしてウッチャンナンチャンや象さんのポットやピンクダックのショータイムなどが日替わりで、「ダウンタウンのトーク」(第一週ゲストは野沢直子)が月〜水帯である。木曜はスペシャルコーナーとしてゲストのショータイムのみ(第一回はチャイルズ)となっている。 他にもまだ紹介したい番組はあるが(『100%女性倶楽部』秋野暢子司会、『おしゃままクラブ』渡辺正行司会など)、紙数をとうに超過しているので、またの機会ということに。 (ダウンタウンらニューエイジお笑いについてもそのうちやります) |
注2 これは、割と全国区だったみたいですねえ。撮りは東京だったのかも知れない。でも制作は中京テレビのはずである。しかし現在『はなまるマーケット』に出てる優ちゃんを見てても全然変わってなくて、嬉しい。
注3 5時SATはこの頃が最高潮だったかなあ。後にフォークダンスDE成子坂に司会がうつり、元チェッカーズの高杢が司会になって番組名が変わり、だんだんつまらなくなってこの枠は終わってしまった。今は『電波少年』等キー局の番組の時間差放送枠になってしまっている。大変もったいないことである。
注4 この番組は、現在のようにビデオが完全に普及しきってない頃、そして、CS放送などで昔の番組の再放送を手軽に見られるようになってない頃としては、非常に貴重な番組であった。『恐怖劇場アンバランス』や『快獣ブースカ』とか、とにかくいろんなカルトな番組を特集再放送してくれた。つい数年前まで月1企画で同様の趣旨の『昭和ヒーロー列伝』という番組が深夜枠で続けられていたことを覚えておられる東海地区の方も多いであろう。それも含めて、全国の特撮マニア等にも、中部地方に中京テレビありと、その名を轟かしめた企画であった。
注5 というわけで、この週の放送を録画したビデオをまだ所有しているのである。老後の楽しみ(か?)
注6 この人も地元タレントとして息が長い。当時、こんなに長く活躍するとは思ってもみなかった。モデル仕込みのビジュアル面に加え、姉御肌のさっぱりしたトークが人気なのであろう。
注7 久本はこのころタレントとしては、ほとんど無名。『今夜は最高!』とかには出演していたし、WAHAHA本舗は知るひとぞ知るであったが、現在のように女性お笑いタレントの頂点に立つとは誰が考えたであろうか。
注8 この人が声優として大人気を得ていると知ったのはつい最近のこと。この当時はデビュー仕立ての女性シンガーでありました。
注9 最終週もすべて録画した記憶があるのだが、探しても見つからなかった。ので、正確なことはわからないが、この編成での番組自体は二年近く続いたのではないか。全部を熱心には見ていなかったが、途中から月曜は東野幸治(さらに途中から今田とのコンビ)、木曜にはおかまのケンチャンになったような気がする。他にもメンバーチェンジがあったことと思う。最終的には金曜枠のみ残り、『金曜日の王様』として、嘉門達夫と原田さとみのコンビでしばらく続き、それもホンジャマカに交代して、この枠は終わっていったはずだ。後にテレビ愛知がこのコンセプトをパクッた番組を90年代後半に始めたが、あまりのメンツの貧弱さに話題にもならなかった。
注10 こちらは、最終週の録画も保存されている。構成は曜日別に変わり、コーナー内容も変化したが、面子は基本的に変わらず、ダウンタウンが抜けてそのまま『流行商會』というタイトルに変更になり、しばらく続いた。ビデオを見ればもう少し詳しいこともわかるのだが。