ひさびさに腰の具合が思わしくなく、特に用事もなかったし雨も降っているということで、ほぼ一日寝ていた。
ごろごろしながら、図書館でちょうど借りてきていた『続・人間コク宝』吉田豪、などを読み続ける。ゴロ寝読みには最適と言えよう。
ゴロ寝といっても布団を引いて本格的に寝ていたのだが、ちょっとは動かないと逆に腰が固まってしまうような気がしたので、夕方、家の周りを散歩。
どうもこのところ、ノリが悪く、全般的に運気低迷というかバイオリズム低下気味。
ちょっとおとなしくしていよう。
ひさびさに腰の具合が思わしくなく、特に用事もなかったし雨も降っているということで、ほぼ一日寝ていた。
ごろごろしながら、図書館でちょうど借りてきていた『続・人間コク宝』吉田豪、などを読み続ける。ゴロ寝読みには最適と言えよう。
ゴロ寝といっても布団を引いて本格的に寝ていたのだが、ちょっとは動かないと逆に腰が固まってしまうような気がしたので、夕方、家の周りを散歩。
どうもこのところ、ノリが悪く、全般的に運気低迷というかバイオリズム低下気味。
ちょっとおとなしくしていよう。
読書の感想をまたずいぶんサボッてしまった。
溜めれば溜めるほど記憶が薄れていくだけなんだけどね。
ま、とりあえずここ1ヶ月ばかりの分からピックアップ。
注目を浴びてスタートした池澤夏樹版「世界文学全集」の第一弾ということで、青山南による新訳。
最初快調にすいすい飛ばして読んでいたのだが、中盤あたりから突然退屈になってしまい、どうにも乗り切れぬまま読み終えた。
広範囲に影響を与えた名作と評されるが、少なくとも僕には影響を与えなかったようだ。
宮沢章夫の文章は好きで、一頃は結構読んでいたのだがこのところはご無沙汰だった。
といっても、この本は文章ではなく講義録なのだが。
近年、オタク側から語られることの多い80年代を、一方の華であったピテカン系の立場から「かっこいい」面を中心に語り直したという趣向。
講義中、ちょくちょく大塚英志の『「おたく」の精神史』が引き合いに出されている。
YMO、スネークマンショー、宝島、岡崎京子等々、「なにもかも皆懐かしい」のだが、いかんせん当事者の自慢話(当人にそのつもりはなくても)に聞こえてしまうのみで、果たして宮沢が伝えたいという「かっこよさ」が、今の若者にちゃんと伝わるのかは疑問。
ちょっと前からディックを読み直していきたいと思っていたので、実行に移す第一弾。
おそらくディックを読むのは15年ぶりとかそんな感じ。
で、25年ぶりぐらいに読むこの作品は、ディックにしてはよくまとまっていると評される代表作の一編で、断片的にしか筋を覚えていなかったが確かにおもしろい。
でもなんかこじんまりとした印象だなあ。
再読はもちろんだが、実は未読も多くて、そこら辺りも消化していこうと、まずはサンリオ文庫ディック第一弾のこの作品。
おもしろさは中ぐらいかな。
待ってましたのプリースト短編集だが、結論から言うとこの人の場合長編の方が好きだなあ。
とはいえ、表題作と「青ざめた逍遥」はよくできた時間SF短編だと思うし、ドリームアーキペラゴ連作に漂う不思議な雰囲気も忘れがたい。
集中三編選ぶとすれば、「青ざめた逍遥」「火葬」「奇跡の石塚」かな。
結構楽しめたし、スペキュレーティブフィクションに興味のある人なら当然買い、である。
まずまず面白く興味深かったのだが、途中『砂の器』を延々と論じたところがあって、未読なんで参ったなあw。
いまさらのベストセラーなんだが、ブックオフで1冊100円ならぬ3冊で100円でワゴンセールされていたので、思わず買ってしまった。
そこそこ楽しませてくれるだろうという期待のもと読み始め、まずまずその通りではあったものの、冒頭から中盤までが一番楽しめたかなあ。
後半は期待ほど盛り上がらない。
色川武大は一時集中して読んで虜になり、今でも大切な作家の一人である。
この書は残された夫人が在りし日の生活を追想し書き綴ったエッセイ。
色川作品でいえば『離婚』や『恐婚』はたまた『引越貧乏』あたりの裏側が描かれており、なにかと興味深い。
その夫婦形態はもとより、生活そのものがやはり並ではなかった、と改めて実感。
というわけで、先週はずっと浦沢直樹『20世紀少年』を読み続けていたわけで、かなり夢中になったと記録しておこう。
浦沢作品とはずっと疎遠で来ており、当時スピリッツは購読誌であったにも関わらず『YAWARA!』は飛ばして読んでいたほどである。
絵柄は僕の好みの小学館路線であり決して嫌いではなかったのだが、どういうわけだが食指が動かなかった。
で、程なくしてマンガをほとんど読まなくなってしまったので、その代表作のほとんどを読んでいない。
それでも『PLUTO』にはさすがに興味を持たざるを得ず、連載を追うとこまではいってないものの、単行本の何巻かまでは読んでいる。
で、この『20世紀少年』もまったく予備知識なしで読んだ。
実はひょんなことで先日読んだいましろたかしの『デメキング』との類似性(浦沢自身も完全版に解説を寄せているが)が実に興味深い。
ストーリーとかは全然違うわけだが、モチーフというか空気感が近いのだ。
『デメキング』が自主制作の未完の短編映画とすれば、『20世紀少年』はそれをハリウッドで三部作の超大作にリメイクしたような感じといえばいいだろうか。
個人的にはどっちも好きだけど。
で、賛否両論のあるラストだが、8年間の連載につきあった人と短期間で単行本の一気読みをした人では受け取り方や感じ方が違ってくるかもしれないねえ。
僕はやはり最初いささか物足りなく思ったものの、時間が経つにつれ段々納得、って感じ。
この読者の反応まで計算に入れていたとすれば、なかなかの策略だよなあ。
全体としては、程々にわかりやすく程々に先読みできない展開、ノスタルジーに淫していない節度ある描写、マンガ全体に対するリスペクトを所々に織り交ぜた構成等々、好感を持って読み終えた。
てことで、映画化もされることだし(単純に面白がって見たいと思うけど、冷静に考えれば不安の方が大きいよね)、未読の方(オレだけだったか?)は是非どーぞ。
一頃は早く目覚めていた日曜の朝だが、ここ最近は9時頃起床というパターン。
早朝から起きてアニメを見続けている3女が、外に遊びに行きたくてしびれをきらしている。
小4になってバスケ部に入ったので、バスケットリングが設置している公園で練習したくて仕方ないのだ。
このところは家にいるときはPCの前にばかり居たがる小6の次女だが、同じバスケ部なのでなんとか誘い出し、三人で近所の公園へ。
しかしバスケットゴールは占領されていたので、車でちょっと離れた別の公園へ。
そこでもすでに占領されていたが、パス練習などをしながら空くのを待って、シュート三昧。
昼頃家に戻り、冷や麦とチャーハンなどで昼飯。
そういえば、朝もロクに喰っていなかった。
父の日のプレゼントとして、長女からハンドタオル、次女からは定番の「かたたたきけん」「おてつだいけん」、そして三女からは「なんでもけん」(!)と「ラーメン屋おつきあいけん」(笑)を頂く。

(なんでもOK)って...w。
すべて大切に使わせていただきます。
おまけに三女の書いた絵。

昼からは久々に昼寝等しながらゴロゴロ。
ほんとにゴロゴロ。
最近、ゴロゴロしてるとかえって疲れがたまるんだよねえ。
夕飯を食ってからもゴロゴロして、風呂に入って今週読み続けた20世紀少年をラストまで。
いやあ、楽しめました。
作家の訃報が相次いだ。
野田昌宏氏逝去。
SF翻訳家・作家であり、日本テレワーク設立に関わり「ポンキッキ」制作に携わり、ガチャピン・ムックの産みの親、というかガチャピンのモデルである。
小学生の頃読んだ、氏が翻訳した「キャプテンフューチャー」シリーズが、SFをそれとして初めて意識した作品であった。
作品自体はもとより、巻末の訳者あとがきに魅せられて密かにその名を胸に刻んだ。
『レモン月夜の宇宙船』というハートフル&コミカルな短編集も好きだった。
『SF英雄群像』の文庫版が出た時も、待ちかねて読んだものだ。
『スターウォーズ』のノベライズも、映画公開のかなり前に発売されたところを本屋で取り寄せんばかりにして読んだし、東映映画『宇宙からのメッセージ』のノベライズも石森章太郎の絵に釣られたということがあるものの、面白く読んだ。
ただその後はあまりいい読者ではなかった。
チャンドラーの翻訳や人気シリーズ「銀河乞食軍団」は結局一冊も読んでいないし、近年のファインタック等も同様だ。
でも、SFマガジンに長期連載されていたエッセイは楽しみに読んでいたかな。
一度だけ本人にお会いしたことがある。
確か自分の車にも乗せた筈だ。
どういうことかというと、学生の頃手伝っていたSFコンベンションのDAINA☆CONにゲストとしてお見えになった時に、スタッフとして接したというだけのことであるのだが。
噂通りのにこやかで気さくなお人柄を実感する一方で、それだけではない鋭さも時折垣間見えた気がする。
ご冥福をお祈りします。
また、氷室冴子氏も同日逝去されたとのこと。
おそらく僕が読んだ唯一のコバルト作家であろう。
『なんて素敵にジャパネスク』『クララ白書』『なぎさボーイ』あたりの80年代前半の作品は、当時の先輩・仲間に影響されて何冊か読んだ記憶がある。
僕はその功績を論じる任にはないが、コバルト文庫、いやこの時代の少女小説を代表する作家であったことは間違いない。
安らかに。
会社で使っていたクライアントマシンが4年間のお務めを終えてリース満了時期がやってきた。
XPマシンであるわけだが、DELLのWS機で導入時点でそこそこのスペックであったこともあって、今でもそれほど使用感的につらいことはない。
以前は4年もPCを使うなんて、制作現場としてはかなりツライということで3年を目途として代替をしてきたものだが、近年はほとんど問題ないね。
それだけハードもOSも安定してきたということか。
で、今回のわしのマシンの代替はシステム担当の助言で、iMACとなった。
Parallels Desktop for MacでXPをぶち込んで、Leopardとのシームレスな併存環境を作ってWin & MACの両刀使いで行こうというわけ。
以前、Macにはアンビバレンツな感情を持っていると書いたことがあったと思うが、近年はMac miniをサブマシンとして使い初め、昨年からはMacbookをWindowsの傍らにおいて使用してきており、MACにもそこそこ馴染んできた。
とはいえ、家ではWindowsオンリーということもあり、どうもMACをお客様扱いしてしまうというか、肝心な作業はWindowsメインでやってしまい、ほとんど触らない日も多くなってきたところであった。
で、今週頭からこの併存環境の構築をちょろちょろとやってきたのであるが、こりゃすごいね。
まず、Parallels DesktopでのWindows動作。
仮想マシンかあ、という昔のイメージを粉砕するかのように、サクサク動く。
しかもドラッグ&ドロップでMACとの間でガンガンデータ交換もできる。
つい最近までWinとMACの壁、なんて言ってたのがウソのような快適さである。
で、Leopardのspacesを使えば、シュンシュン切り替えができて狭いWindow枠にとらわれずに操作できる。
で、全画面Windowsにして使っているにも関わらず、dockやExposé、Dashboardもそのまま使えてしまう。
で、せっせとWindows環境を旧マシンから移行していたのだが、iMACを使えば使うほど、Windows環境がどうでもよくなりかけてきた。
実は、そうなるかもなあ、と思っていたのだが。
Leopardの操作系が非常に充実しているし、付属アプリやツールがかなりこなれているからだ。
このままマカーになってしまうのだろうか。
どこを見てもほとんど悪い評価をみかけないという気がする古川日出男だが、これまで3冊読んで個人的にはいまひとつノリ切れていない。

『ベルカ、吠えないのか?』古川日出男
2005年上半期の直木賞候補作であり、かなりの評判作。
熱狂的に推す声も多く、実際、賞を取り逃したことを惜しむ記述もあちこちで見かけた。
ちょうど文庫になったので、これは期待して読んだ。
出だし快調。展開も期待できる....、と思いつつ読み進むもどうもなんだかあまり面白くならない。
というより、この文体、リズムがどうも僕と波長が合わない感じ。

『ハル、ハル、ハル』古川日出男
これも実は期待していたのだけど。
さらにダメ。まったく合わない。
ちょっと珍しいぐらいだな、こんな風に思うの。
うーん、まだ読み進むべきでしょうか、他の古川作品。
これまで読んだ中では『サマーバケーションEP』がまずまずよかったかも。

『文学賞メッタ斬り! 2008年版 たいへんよくできました編 』大森望×豊崎由美
イヤーブックとなって2冊目。
相変わらずの毒舌振りが絶好調。
選評委員評部分では、もういいじゃん、そんなにいじらなくてもと思いつつもニタニタしてしまう。
お二人の評を一方では信用しつつも、自分自身とは好みの部分で結構ズレがあるかなあ、ということをやっと最近気づきつつあるのは、俎上に載せられている作品をちょっとずつでも追いかけられるようになってきたからだなあ。
今日は超らーめんナビという携帯サイトが企画する限定麺の試食会に縁あって参加してきた。
永年らーめんサイトをやっているが、お店の正式な試食会に参加することはこれでまだ2度目ぐらいだったかな。
縁あってというのは、その携帯サイトに今回の新作メニューの紹介文を書くことを依頼されたということである。
これまでは思うところあって(たいしたことではない)お引き受けしなかったのだが、今回の対象のお店が最近ノリにノッているお店ということもあり、興味本位でお引き受けした。
引き受けてよかったと思える充実した内容で、先ほど紹介文を書き終えて校正に出した。
その内容は近々に「ら」の方にて。

『ダンシング・ヴァニティ』筒井康隆
久々にちょっと唸りましたな。
ひとつの場面が少しずつずらされながら何度も反復しつつストーリーは進行する。
そんな実験的な手法ながら実験のための実験に終わっておらず、様々な意図が見え隠れしつつ、作品に一種催眠的な効果を与えている。
さながらジャズのフレーズが反復するかのように、また何度も同じ夢をみるかのように。
さらに読み手がその反復自体をも楽しめる筆力はさすがといえよう。
これまでの筒井の読者ならば誰もが気付くように、従来の筒井の作品で扱われてきたテーマ、モチーフ、手法が集大成的に顔を出す。
ドタバタ、スラプスティック、歌舞伎、映画、演劇、戦争、疑似イベント、業界内輪ネタ、老い、電脳空間....etc.
それは単なる手癖的なことというより、かなり意図的であるように思うのは、作者のこの作品に賭ける意気込みみたいなものを感じさせられたせいもある。
そのことは作品内にとどまらず、筒井ワールド全体の中における反復、変奏といったことも意図されているように思えてならない。
「新潮」4月号の著者自身による自作解説にも詳しいように、この作品では「反復」に関して徹底的に考察され、あらゆることが試みられているのだ。
シネマエレキング
映画観た記録をだらだらと。