会社の我が机にmac miniがやってきた。
実は個人端末としてMACを扱うのはこれが初めてである。
僕の職種でMACに触らないでいるというのは、どちらかというと特殊である。いわゆるDTPと呼ばれる分野なのだが、諸事情あってこれまでWin中心にやってきた。最近でこそ、WindowsDTPと云われるものも普及してきたのだが、これまでこの分野においてはどちらかというと異端の道を歩んできたことになる。
思い起こせば15年ほど前に、Machintoshとの初めての出会いがあった。それは東京のとある編プロで、DTPのそれこそ萌芽期に導入されたSEかSE/30のどちらかだったかと思う。MANHOLEというゲームを見せてもらって大変カンゲキをしたことを覚えている。
以来、MACは憧れの的で会社にも導入をと声高に主張し続けていったのだが、遂に会社において導入が決まったときには、ちょっとしたズレから僕自身は逆に皮肉にもMACから遠ざかり続けていくことになった。
以来、DOS/V?Windowsの道を歩んできたわけで、そっちに関しては一通りのことはまあ出来るようになった今、改めて初恋の人と出会うことになったわけである。
今日は、パパっとセットアップしただけでほとんどいじってないのだが、確かにワクワクするなあ。
さて、どうなる。
mac mini
仰げば
長女の中学卒業式。
中学校の卒業式ともなってくると、さすがに男親の姿も少ないだろうと思っていたが、チラホラいることはいる。
ウチは入学式・卒業式に関しては、中学校までは全部行くことに決めている。3人いると、あれは行かないこれは行くとかしているとごっちゃになって不公平感が生まれてもイヤだし。節目は素直に祝いたいじゃないですか。
卒業式自体はつつがなく進行し、合唱に力を入れている学校だけあって、最後は合唱3連発、締めも在校生の合唱に送られながら退場とこちらの気持ちを盛り上げてくれた所に、学年主任の最後の挨拶の第一声が「三年間正直ホントに大変でした」というもの。ところどころ聴いてはいたものの、いろいろ問題を抱えていた学年のようで、先生の苦労も並大抵ではなかったようだ。語りながら学年主任も次第に感極まり、保護者もまた涙、涙。
終わって会場を出てきたところにあった廊下の掲示。
目安箱みたいなもので、様々な学校生活の苦情に生徒会が答えるというものらしい。
なかでもなんか笑えたのがコレ。

そうか、少ないのか。
それは生徒会に云われても困るだろう。
Squeeze "Argybargy"
- 今日の一枚
- ROCK, 名盤

ここのところの休みは買い物に出かけるぐらいであまりあちこち出かけなかったのだが、今日はすべて近場ながらほとんど外にいた。
まず、午前は三女を連れて近所の学童まつりに出かける。ウチの子は学童に行っていないのだが、同級生に招待されたらしい。
保護者達による屋台があったり、軽トラを簡易舞台にした出し物があったりする。
その中でも保護者達による出し物が異様に力が入っていた。まず、長州中力とダンサーズによる「ライトオンファイアー」のパラパラ。長髪のカツラまで被り、遠目には小力そのもの。お腹のタプタプ具合も絶似であった。次におはガールズならぬおばガールズによる「Pecori☆Night」。推定平均年齢30代後半によるチアガールズが溌溂と踊りまくった。どちらもココに写真を掲載したいぐらいだが、個人情報保護の観点からとりあえずやめておく。
いったん家に帰って昼食をとった後、親を連れて平針の農業センターへ。この時期になるとしだれ梅の名所となる。
今年は少し梅の開花が遅いと聞いていたので、まだだろうと思っていたが案の定。日当たりのいい場所の梅だけチラホラと咲いていた。来週辺り見頃だろう。
ふれあい動物園で子供達を遊ばせ、牧場アイスや焼き芋を楽しんで、帰宅。
次は親と妻が交代し、高辻にある某ディーラーのイベントのくじを引きに行く。妻の勤め先の関係で招待券をもらうようだ。三女がクッションをあて、お菓子などをもらって、帰りに天白川沿いの公園で少し遊んで帰宅。
なかなかに暖かい一日だった。
槇原敬之 "LIFE IN DOWNTOWN"
- 今日の一枚
- J POP

「どんなときも」がバァーッと世に出て持てはやされた当時、槇原にはほとんど興味を持てなく、どちらかというと軽く否定組(生理的な感じ)だった。勝手にKANとか大事MANブラザーズとかと同じにカテゴライズしていて、背中がムズガユクなるような曲を作る人と認識していた。(その後、KANに対しての認識も変わったのだが)
しかしながら、ヒットを飛ばし続ける中で次々と耳に入ってくる曲は、自然と蓄積され体内で消化され続けた。
シングルで言うと「SPY」の辺りだろうか、否定的な感覚はほとんど消えていたのだが、妻にほぼ無理矢理アルバムを聴かされて、あっさり転向した。才能を認めざるを得ない、と。
以降は割と、好意的に発表される曲を追っている。例の事件の時はさすがに引いたが、割と早めにショックも癒えた。
このアルバムを聴いて思ったのは、さらにタフになったなあ、ということ。
歌声ひとつとっても初期と比べてそう感じる。
HOMEMADE家族とコラボの新曲「ほんの少しだけ」は、従来の特徴をうまく彼にとっての新機軸に溶け込ませた佳曲。
その他、バラエティに富んでいて楽しめる。
『容疑者Xの献身』東野圭吾
- 本のコト
- ミステリ

つことで読みました。
作品そのものというより、この本を取り巻く状況に興味があって、読みたくなったということは以前に書いた。
そのためシリーズを遡って読んだりして、我ながらメンドクサイ性格だなあ、と思ったり。
さすがよくこなれていて、つるつる読める。読んでる最中はそれなりに面白く読んだのだが、余韻は今ひとつ。
よく出来たサスペンスドラマを見ている感覚。これは本格ではないと声高に叫ぶ気持ちも考えも毛頭ないが、なんかミステリ読んでるという感じが薄かった。
読後感としては、これまで読んだ数少ない東野作品同様、面白いけど物足りないという感じ。
トリックや仕掛けに納得出来ないことはまったくなかったのだが、納得出来ないのはこれが『純愛』を書いた本とされること。うーん、そうかね。これが『愛情』なんですか。その部分においては二階堂・笠井両氏の感覚に共通するものを感じるなあ。
で、ミステリマガジン3月号に掲載された両氏の文章をやっと読むことが出来、さらにネットでイロイロ論争を追ってみたのだが、なんかイマイチつまらん。
せっかく、論争を楽しもうと思って読んだのになあ。
『ドカベン』7?10 水島新司
- 本のコト
- マンガ
さて、6巻の最後で小林が登場して、山田が野球を辞めた理由が語られる。そして7巻は山田が再び野球をやることを決意すると共に、鷹丘中学野球部の復活が語られる。
ここで殿馬が登場する。ドカベンのキャラというか水島新司の描くキャラは昔も今もあまり変化しないのだが、この殿馬は後年よりも随分ブサイクキャラになっている。
ああ、生徒会長も野球部入ってたなあ、とか、三つ子いたなあ、とかやはり懐かしい。
8巻から9巻にかけて小林率いる東郷学園との試合、そして不知火の登場、雲竜、里中の登場を経て、10巻遂に明訓高校編がスタートする。
この9巻から10巻にかけてのライバル達が山田の高校進学をしつこく勧めるやりとりの辺りから明訓入学野球部入部の辺りがかなり懐かしい。好きなシーンが多く、覚えている印象的なコマも多い。山田が空き地で不知火の球を初めて打った場面(その球は雲竜が受け止める)とか、土井垣のサク越えの球を山田が物干し竿2本にくっつけたミットでキャッチする場面とか。
いやあ、佳境に入ってきた。
前々回の『エンタの神様』に初登場したアクセルホッパー。
パンパン!スパパン!のリズムと共に踊るバカテンポ。
こりゃ結構ハマる人多いぞ、番組イチ押しかな、と思っていたら案の定、2週連続登場。
あれ、この人、ひょっとして、300号記念ということで珍しく買った『マンスリーよしもと』の読者の教えてコーナーに載っていた永井佑一郎じゃないのと思ってググったら、どうもそのようで。
インパクトあるし、ビジュアルもいいんで、そこそこブレイクするでしょう。
ただネタが単調なんで飽きられやすいかも。他にどんな引き出しがあるかだよなあ。

やっと読了。あー、しんどかった。
好きだけど苦手な作家ジーン・ウルフ。もどかしいほど読み進めるのが遅くなってしまうのだが、途中でやめることが出来ない。
これだけ時間をかけてジリジリ読んでも、この本の企みの3分の1もわかってないのだろうなあと思うと悲しくなってくるね。
集中力のない僕がボヤボヤ読んでいると、皆目何が書いてあるのかわからなくなり、ところどころ字面を追うだけになってしまうが、またしばらくすると作中にグイと引き戻される、そんな繰り返し。
かなり昔(それこそ20年ほど前)、シュノー先生に勧めれられるままに読んだ表題作はやっぱり好き。企みがすべてわからずともいい話とわかる。
「死の島の博士」が一番話の筋自体はすっと頭に入ってくるのだが、難易度は高い。
すべての作品が「読むこと」をそのテーマのうちに持っており、その人の『読書』というものに対する試金石になっているかのような作品集であった。
最後に、なんとなく気に入ったフレーズ:
「人間はこみいった猿だよ、ニコラス」


