エレキングブログ前夜
名古屋エレキング倶楽部 ブログ以前の読み物 1997〜2005(再構築版)
1999年8月27日(金)エレキングの声

『ハサミ男』との出会い(3)

【承前】

 こうなると、何か手がかりはないか、確かめたい、という気持ちが高まる。「メフィスト」本誌を確認することを思いつく。確か、新しい号が最近出ていた筈、と小説誌のコーナーに移動する。
 果たして、巻末に選考座談会が載っている。慌てて目を走らせると、『ハサミ男』の作者が見つかった、などということが書かれている。ここでハタ、と思い当たる。そういえば、前号の選考座談会も読んでいるぞ、俺は。確か、選考委員絶賛のもと受賞した作品があったが、作者が行方不明で連絡不能、という記述があった。毎号、追っかけているわけでもないそんな雑誌の巻末の座談会を自分が読んでいたこと自体、不思議ではあるが、そんなことより、連絡つかず、とは、ますますあの人らしいではないか。
 ざっと目を走らせただけなので、前号の詳しい内容を記憶していない。すでにこうやって新しい号が出ているわけだから、図書館にでも行かなければ、前号の選考座談会をもう一度読むことが出来ない。そこに何かもっと手がかりが書かれていたかも知れない。その時は、当然ながらまさか知り合いかも知れないとは、思ってもみない。

 とりあえず、三洋堂を出る。並びの「麺テリア異人館」に入って、「梅光軒」のラーメンが食べられなかった埋め合わせをする。ラーメンをすすりながらも、殊能将之がT氏である可能性を、あれこれ思い巡らす。

 用事を済ませ、今池の地下街の本屋で、再び『ハサミ男』を手にする。どうにも気になる。T氏かどうかはともかく、興味を引く面白そうな本であることは確かである。そんなに数を読まず、また読み巧者とも言い難い自分ではあるが、こうしたカンには結構自信がある。何の情報もなく、本屋でいきなり出会って、これ、と思った本にまず、はずれはない。同じ講談社ノベルスでいえば、『姑獲鳥の夏』も『すべてがFになる』もそうであった。SFと違って、ミステリはあまりあちこちで情報を仕入れていないので、本屋でいきなり出会う確率の方が多い。
 そのカンに従い、『ハサミ男』を手に、レジへ向かった。

 その時の通勤の友であった『ライトジーンの遺産』をうっちゃって、帰りの地下鉄で『ハサミ男』を読み始める。ぐいぐい引き込まれる。筋とか展開とかはもとより、その語り口自体に違和感を感じない。これは、「わかっている」人の文体である。何が「わかっている」のかは、一口で言えないが、凡百のノベルス作家とは一線を画するのは明らかである。

 途中ながらも、本自体の面白さは確認できた。さてこれが、T氏の作かどうかである。誰に確かめればいいのか。献辞を受けた浜田氏本人は知っているのだろうか。もしくはT氏と交流の深い磯氏は知っているかも知れない。ストレートに聞けば、そんなことは判明するのだろうが、もし知らなかった場合、僕が体験した驚きを体験する楽しみ(?)を、奪ってしまうことになる。
 そこで、思いついたのが大森望氏の存在である。大森氏なら、新本格系のノベルスに一通り目を通しているに違いない。そしてまた、T氏のことも少なからず知っている。版元の講談社にも顔が利くであろう大森氏に尋ねれば、編集部に問い合わせてくれるかも知れない。
 それでもまだ僕の一人合点かも知れない。ストレートに聞くことがためらわれたので、大森氏のページの掲示板に書き込むことにする。「殊能将之氏の正体を知っている人はいませんか」と。
 同時に、仲間達にこの本の存在を示唆するために、Niftyの仲間内のPATIOにここまでの経過をぼやかして書き込む。「この本、なんか臭いぞ」と。

 反応は素早く、そして驚くべきものであった。

  【この項もう一回続く】