「識者の声」はもういらない
例の豊川市の高三による殺人事件について、5月3日付中日新聞朝刊に「識者の声」として三人の大学教授の談話が掲載されている。
その中の「福島章上智大学教授」の談話。
「死」というものの重大性が全く分かっていない。テレビやコミック、インターネットなどにはいっぱい死が出てくるが、核家族化や病院で死亡するケースの増加で、家族らの死をみとる体験がない。未熟な体験と頭の中の観念にギャップがあり、それを埋めるために反抗に及ぶ。(中略)現代日本の青少年のケースは情報の洪水が背景にある。対策としては自然や動植物と触れ合う機会を増やすことなどが考えられる。
上のコメントのようなことを言って(聴いて)、分かったような気になってる奴が一番始末に悪い。わしはもう36歳になろうかというオッサンだが、テレビやコミックやインターネット(ゲームじゃなくてインターネットというのがトレンドのつもりなのかね)のみならず小説・映画・ビデオなどでもいっぱい死を見る一方で、核家族だし、家族らの死をみとる体験もないぞ。でもまだ人は殺してないよ。一応、これからも殺すつもりはないんだけどね。
対策として掲げた事柄も笑わせる。これ、対策かね。もっと考えてものを言ったほうがいいんじゃないの。
こんなステロタイプと化したコメントを堂々と吐けるという神経にも恐れいるが、それを有難がって載せる新聞社の姿勢にもうんざりである。
こういった特定の事件を一般化しようとするコメントにはどうしても過敏になる。自然と棘のある文章になってしまうが、言い過ぎかね。
「わからない」ことを「わかったような気にさせる」識者のコメントという奴は、もういらないんじゃないの。そこで思考停止して安心したい、というんじゃない限り。