1996年10月30日(水)さらに工事中日記
ちょっと前に話題にしたアムウェイの勧誘の件であるが、久々に電話がかかってくる。その時は時間の都合が合えば、じゃもう一回話だけでも聴くよということにしておいたのだが、1ヵ月も経つといろいろ状況も変わってくる。引っ越しも目前で準備もいろいろあるし、仕事も忙しくなってきたし、赤ん坊の世話もある。「時期が悪いから、もうちょっと時間おいてから聴くよ」と返答する。前回もそういう話し方をしたはずだが、「今、聴いておかなければ...」という言い方をするので、じゃあ時間が合えば、というように答えておいたのだ。それからすぐに一度電話がかかってきたが、あまりにも突然だったので、時間が作れなかった。だって「今からどこ何処へ来れる?」なんて誘い方だったのだから、こちらも生活という物があるし、特別に興味を持っているわけでもないことにそういう付き合い方はできない。それから1ヵ月程経っての電話である。
「ちょっと話を聴ける状況じゃないよ。話を聴かないといってるんじゃなくて、落ち着いたら聴くと言ってるんだ。あなたも聞き手に聴く体制が出来た上で話した方がいいでしょう」それが逃げ口上に聞こえたのかも知れない。「そんなこと言ってたら、落ち着いちゃうじゃない」という。これでキレた。「『落ち着いちゃう』ってどういうことだ! 落ち着いてしまったら話せないような話なのか!」と思わず声を荒げる。ま、この時点でキレることはなかったのかも知れないが、こないだわざわざ会って話をした内容がまるで通じてないことに怒りを覚えたのだ。
3年ほど前に一度会って話をした時点で、アムウェイがどういうものかは大体聴いている。自分にはまったく興味のないものだが、彼がやる分には否定するつもりはない。運営上のシステム的に微妙な部分があったにしても、それはどんな営利団体にでもあること。ことさら僕が目くじらを立てることでもないと思い、彼がそれに生きがいを感じ楽しくやってる分には、気持ちの上では応援さえする。しかし、そのことを自分がやるということはまったくの別問題。彼が「良い物」と思っていることは分かる。それがすなわち僕にとっても「良い物」であるとは限らない。単純に言えば「価値観」の問題。僕は人の価値観に感想は持つことはあっても、否定するつもりはさらさらない。
前回会ったときも、同様の考えを繰り返した。しかし彼は、以前の自分の説明ではアムウェイの価値を本当に伝えきれていない。まだ、やり始めたばかりで未熟だったからだ。今はいろいろ経験も積んでいてもっとうまく説明できるから聴いて欲しいという。じゃ、以前の話はでたらめだったのかというと、そうではないという。ただ、うまく説明できていないだけだという。でたらめでないのであったら、その時の説明でアムウェイの概略は解っている。それだけで、自分には相容れない物という判断が僕にはあるんだよ。と言っても納得しない。
「ねずみ講」的なイメージが一部にはあるかも知れないが、少なくとも彼にはそんな気持ちで僕を誘っているわけではないことは理解している。彼は本当に「良い」と思って、僕に勧めてくれているのだ。一種、新興宗教や能力開発セミナー的な勧誘の雰囲気が漂うのはそのせいもある。僕は、唯一それが気に入らないと言えば気に入らない。しかし、どうにも彼にはそのことが解らないらしい。一部の「ねずみ講」的なイメージを払底することだけに、躍起になっている。アムウェイに否定的な人間は全てそのことを誤解していると思っているのかも知れない。誤解しているわけではないということが、彼には解っていないのだ。それが、電話の発言で見えたから、僕はキレた。向こうが善意で言ってくれているのが解るから、こちらも誠実に応対したつもりだ。それが解らないのか、と言うわけだ。
知らない人間なら、適当にお茶を濁してハイそれまでで良いのだろうが、身内の人間だからこそ、僕は怒鳴りまくった。キレてしまえば、論理も何もなくなる。一方的に電話を切ってやる。すぐに又、電話がかかってくる。
「電話ではラチがあかないから、会って話をしよう」と言い出す。そんなの通る? こっちはそもそも、今は時間が取れないから落ち着いてから話をしようと言っているのに、全然噛み合っていない。僕は電話が長くなるのを覚悟した。
なんとかその電話は1時間で終わったが、実りのない1時間だった。最後もなんだかよくわからないまま、向こうから一方的に切れた。さんざん議論してきて、「時間がとれないとれないと言って、この電話もう1時間ぐらいしゃべってるけど、実際時間取れてるじゃない」と言い出したのだ。それまでは、最初の爆発した感情を抑えて、なるべく冷静に誠実に応対していたつもりだったが、この言葉でどっと疲れた。「時間が取れてるわけじゃなくって、取らされてるわけでしょ」と突き放す。「....わかったよ。そういう言い方するなら」と彼。「わかったならもういいよ」「....わかったって何がわかったか解ってるの」「いやわかったんでしょ。わかったならいいじゃない」極めてくだらないやり取りになる。しばらくの沈黙の後、電話は切れた。
話を聴いていて、何もこちらの胸に迫ってこない理由ははっきりしている。全てが即物的なのだ。アムウェイは手段だという。夢のための。その「夢」と彼が言う際に、いい車が欲しかったり、いい生活がしたかったりとそういう例を出してくる。「人間誰だって良い方に進みたいでしょ」と彼は言う。「そりゃそうだろうね、普通は」と答えざるを得ない、とりあえずは。「でもその『良い』って、人それぞれ違うわけでしょ」とこちらが突っ込んでも、「アムウェイの中でもみんな各々、違う『価値観』を持っている。良い車に乗りたい人もいれば、外国旅行に行きたい人も...」って、それって、すごい狭い意味の『価値観』でしょ。だから、人とのつながりができるといったことや、やりがいの話を彼がしても、それすら即物的に感じる。というより即物的である。彼は否定するだろう。アムウェイで得られる利益が二次的な物と彼が考えていることもよく分かる。分かった上で、彼のビジョンはなお、僕にとって即物的なものに映り、興味が持てない。「会って話をすれば」と、彼は強調するが、1時間の電話の間に変えられなかった印象は、会って話をしても変えられまい。それに実際もう会って話をしている。
結局、僕は彼が、僕の『価値観』を認めてくれないことに腹を立てたのだと思う。『価値観』の多様性を言葉では認めつつ、理解していないことに怒りを覚えたのだと思う。だからこそ、この1時間の電話の僕にとっての『価値』を彼が理解していないような発言をしたときに、僕はもう論議をする気持ちを失ったのだ。
多分、彼はパートナーが欲しかったのだ。仕事上のパートナーというより、自分のやっていることを理解してくれ、共に分かち合えるパートナーが。その期待に答えられないことは、残念としか言い様がない。しかし、悪いけれど僕には今の彼が目指す物を共に分かち合える自信がない。彼が「僕のため」というのならなおさらだ。
あー、おかげで、『ボキャブラ』見逃したあ。
「ちょっと話を聴ける状況じゃないよ。話を聴かないといってるんじゃなくて、落ち着いたら聴くと言ってるんだ。あなたも聞き手に聴く体制が出来た上で話した方がいいでしょう」それが逃げ口上に聞こえたのかも知れない。「そんなこと言ってたら、落ち着いちゃうじゃない」という。これでキレた。「『落ち着いちゃう』ってどういうことだ! 落ち着いてしまったら話せないような話なのか!」と思わず声を荒げる。ま、この時点でキレることはなかったのかも知れないが、こないだわざわざ会って話をした内容がまるで通じてないことに怒りを覚えたのだ。
3年ほど前に一度会って話をした時点で、アムウェイがどういうものかは大体聴いている。自分にはまったく興味のないものだが、彼がやる分には否定するつもりはない。運営上のシステム的に微妙な部分があったにしても、それはどんな営利団体にでもあること。ことさら僕が目くじらを立てることでもないと思い、彼がそれに生きがいを感じ楽しくやってる分には、気持ちの上では応援さえする。しかし、そのことを自分がやるということはまったくの別問題。彼が「良い物」と思っていることは分かる。それがすなわち僕にとっても「良い物」であるとは限らない。単純に言えば「価値観」の問題。僕は人の価値観に感想は持つことはあっても、否定するつもりはさらさらない。
前回会ったときも、同様の考えを繰り返した。しかし彼は、以前の自分の説明ではアムウェイの価値を本当に伝えきれていない。まだ、やり始めたばかりで未熟だったからだ。今はいろいろ経験も積んでいてもっとうまく説明できるから聴いて欲しいという。じゃ、以前の話はでたらめだったのかというと、そうではないという。ただ、うまく説明できていないだけだという。でたらめでないのであったら、その時の説明でアムウェイの概略は解っている。それだけで、自分には相容れない物という判断が僕にはあるんだよ。と言っても納得しない。
「ねずみ講」的なイメージが一部にはあるかも知れないが、少なくとも彼にはそんな気持ちで僕を誘っているわけではないことは理解している。彼は本当に「良い」と思って、僕に勧めてくれているのだ。一種、新興宗教や能力開発セミナー的な勧誘の雰囲気が漂うのはそのせいもある。僕は、唯一それが気に入らないと言えば気に入らない。しかし、どうにも彼にはそのことが解らないらしい。一部の「ねずみ講」的なイメージを払底することだけに、躍起になっている。アムウェイに否定的な人間は全てそのことを誤解していると思っているのかも知れない。誤解しているわけではないということが、彼には解っていないのだ。それが、電話の発言で見えたから、僕はキレた。向こうが善意で言ってくれているのが解るから、こちらも誠実に応対したつもりだ。それが解らないのか、と言うわけだ。
知らない人間なら、適当にお茶を濁してハイそれまでで良いのだろうが、身内の人間だからこそ、僕は怒鳴りまくった。キレてしまえば、論理も何もなくなる。一方的に電話を切ってやる。すぐに又、電話がかかってくる。
「電話ではラチがあかないから、会って話をしよう」と言い出す。そんなの通る? こっちはそもそも、今は時間が取れないから落ち着いてから話をしようと言っているのに、全然噛み合っていない。僕は電話が長くなるのを覚悟した。
なんとかその電話は1時間で終わったが、実りのない1時間だった。最後もなんだかよくわからないまま、向こうから一方的に切れた。さんざん議論してきて、「時間がとれないとれないと言って、この電話もう1時間ぐらいしゃべってるけど、実際時間取れてるじゃない」と言い出したのだ。それまでは、最初の爆発した感情を抑えて、なるべく冷静に誠実に応対していたつもりだったが、この言葉でどっと疲れた。「時間が取れてるわけじゃなくって、取らされてるわけでしょ」と突き放す。「....わかったよ。そういう言い方するなら」と彼。「わかったならもういいよ」「....わかったって何がわかったか解ってるの」「いやわかったんでしょ。わかったならいいじゃない」極めてくだらないやり取りになる。しばらくの沈黙の後、電話は切れた。
話を聴いていて、何もこちらの胸に迫ってこない理由ははっきりしている。全てが即物的なのだ。アムウェイは手段だという。夢のための。その「夢」と彼が言う際に、いい車が欲しかったり、いい生活がしたかったりとそういう例を出してくる。「人間誰だって良い方に進みたいでしょ」と彼は言う。「そりゃそうだろうね、普通は」と答えざるを得ない、とりあえずは。「でもその『良い』って、人それぞれ違うわけでしょ」とこちらが突っ込んでも、「アムウェイの中でもみんな各々、違う『価値観』を持っている。良い車に乗りたい人もいれば、外国旅行に行きたい人も...」って、それって、すごい狭い意味の『価値観』でしょ。だから、人とのつながりができるといったことや、やりがいの話を彼がしても、それすら即物的に感じる。というより即物的である。彼は否定するだろう。アムウェイで得られる利益が二次的な物と彼が考えていることもよく分かる。分かった上で、彼のビジョンはなお、僕にとって即物的なものに映り、興味が持てない。「会って話をすれば」と、彼は強調するが、1時間の電話の間に変えられなかった印象は、会って話をしても変えられまい。それに実際もう会って話をしている。
結局、僕は彼が、僕の『価値観』を認めてくれないことに腹を立てたのだと思う。『価値観』の多様性を言葉では認めつつ、理解していないことに怒りを覚えたのだと思う。だからこそ、この1時間の電話の僕にとっての『価値』を彼が理解していないような発言をしたときに、僕はもう論議をする気持ちを失ったのだ。
多分、彼はパートナーが欲しかったのだ。仕事上のパートナーというより、自分のやっていることを理解してくれ、共に分かち合えるパートナーが。その期待に答えられないことは、残念としか言い様がない。しかし、悪いけれど僕には今の彼が目指す物を共に分かち合える自信がない。彼が「僕のため」というのならなおさらだ。
あー、おかげで、『ボキャブラ』見逃したあ。
Posted by eleking | 個別ページ