日記ライブラリー
名古屋エレキング倶楽部 開設期の日記 1995〜2002(再構築版)
1996年10月23日(水)さらに工事中日記
実家のそばに新しいレンタル屋がオープンした。で、オープン記念としてオール100円レンタルというのをやっていたので早速繰り出す。ま、最近ビデオは見るヒマないので、もっぱらCD目当てである。100円ということで10枚借りても1000円である。こーなると結構血眼になる。洋楽のベストもの(普通ならまず借りないであろうものS&Gとかフィルコリンズなど)を中心に、ボストン4枚一挙借り等10枚程レンタルする。カセットも100円ものが豊富だったので、まとめ買いする。ついこないだカセットを大量処分したのになんのこっちゃという感じであるが、ま、こんなもんである。ついでにTVブロスと週刊朝日を買っても2000円少々の出費。繰り返すが、つくづく安い娯楽である。こんなことでニコニコとご満悦で帰宅するのだから、うちの妻も少々あきれ気味である。英樹先生の古文庫本集めの趣味もそうだが、家計を圧迫しない趣味は、何かと物入りが多い30代夫の鑑といえるであろう。えっへん。っていばってる場合か。
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1996年10月25日(金)さらに工事中日記
一昨日のレンタル屋のオープン記念が今日までである。居ても立ってもいられず晩飯後、いそいそと繰り出す。ま、別に当てはないのだが、100円ときては借りなければ絶対ソンといった気持ちになる。や、まあ、借りなくても損にならないのは明らかではあるが、というよりいい気になって、借りなくてもいい物を借りてしまえば、それがすなわち損なわけだが、そんなことはもう100円という数字の前にどうでもよくなってしまっている。こうなると、1円でも安いスーパーのためにバスに乗って遠くまで出掛ける主婦の境地である。
 で、結局、あれこれ迷った末、長年やりたかったビリー・ジョエル一気借りというのを試みる。ま、いまさら普通はビリー・ジョエルなんて借りないとは思うのだが、時に聴いてみたくなる。家にあるのは全てレコードで、プレーヤーなき今、聴く術はない。で、13枚一気借りだ。2枚ずつテープにぶっ込んで、さらにベストを1本作る。これでしめて2100円。CD1枚買うより安いんだから、なんたる贅沢、なんたるお得。店員のあきれ顔さえ、無視出来れば、これ以上の娯楽はあろうか。
 で、FLAPというレーベル作りのシェアウェアがあって、このソフトはわしのマシンでネスケと秀TERMとWZの次によく動いているソフトであるが、こいつでカセットレーベルを作るわけである。フォントに凝ったり色に凝ったりして、タイトルと曲名を打ちだして、出来上がったテープを棚に並べて、一人でニソニソしているのである。安上がりの娯楽である。何かと物入りが多い30代夫の...(以下略)
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1996年10月27日(日)さらに工事中日記
『本を売る』第2弾である。まずは自宅の棚のハードカバー中心に結婚式の引き出物の入っていた紙袋2袋分を近所の真理書房へ。W村上とかニーチェ全集の端本とか海外SFノヴェルスとかまとまりのない物だったけど、何とか5000円GET。ま、でも1冊100円程かと思うとトホホだよね。あとは実家の雑誌類を何とかしようと引き取ってくれそうなところを物色。上前津の亜季書房が雑誌を扱っているので、TELしてみると、本店の伊藤古本店に連絡してくれとのこと。早速連絡してみると、すぐ伺いますとのことで、実家の場所を教え、おっつけ実家に向かう。サンワイドコミックスの石森物や少女マンガ類などコミックスが段ボール2箱。バラエティ誌ほぼ揃いや、SPA!などの創刊号類コレクション、川島なおみ等の懐かしい写真集などしめて3箱と、自宅から迷いつつ持っていった「面白半分」筒井康隆編集分揃いや、ハードカバー類紙袋1袋分などを並べ、待ち受ける。ま、期待はしていなかったものの、しめて5000円である。トホホ。「岡田有希子写真集」や「みんなの歌謡曲」「宇宙船」などが珍しいですねなどと言っているが、なにがめずらしいかそんな物。悔しいので、自宅から持っていった分は売るのをやめる。それでも5000円である。
 あほらしいので、「面白半分」はとっておくことにしてその他のハードカバーを西友前の小林書店に売りに行く。2300円也。オー、得した。やっぱ少しずつ売るに限りますなあ。ドンと売ってもなんか十把一からげにされてしまって、値段に変化がない。なんか伊藤古本店にはやられたという感じである。海星堂に売りに行けばよかった。プンスカ。
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1996年10月30日(水)さらに工事中日記
ちょっと前に話題にしたアムウェイの勧誘の件であるが、久々に電話がかかってくる。その時は時間の都合が合えば、じゃもう一回話だけでも聴くよということにしておいたのだが、1ヵ月も経つといろいろ状況も変わってくる。引っ越しも目前で準備もいろいろあるし、仕事も忙しくなってきたし、赤ん坊の世話もある。「時期が悪いから、もうちょっと時間おいてから聴くよ」と返答する。前回もそういう話し方をしたはずだが、「今、聴いておかなければ...」という言い方をするので、じゃあ時間が合えば、というように答えておいたのだ。それからすぐに一度電話がかかってきたが、あまりにも突然だったので、時間が作れなかった。だって「今からどこ何処へ来れる?」なんて誘い方だったのだから、こちらも生活という物があるし、特別に興味を持っているわけでもないことにそういう付き合い方はできない。それから1ヵ月程経っての電話である。
 「ちょっと話を聴ける状況じゃないよ。話を聴かないといってるんじゃなくて、落ち着いたら聴くと言ってるんだ。あなたも聞き手に聴く体制が出来た上で話した方がいいでしょう」それが逃げ口上に聞こえたのかも知れない。「そんなこと言ってたら、落ち着いちゃうじゃない」という。これでキレた。「『落ち着いちゃう』ってどういうことだ! 落ち着いてしまったら話せないような話なのか!」と思わず声を荒げる。ま、この時点でキレることはなかったのかも知れないが、こないだわざわざ会って話をした内容がまるで通じてないことに怒りを覚えたのだ。
 3年ほど前に一度会って話をした時点で、アムウェイがどういうものかは大体聴いている。自分にはまったく興味のないものだが、彼がやる分には否定するつもりはない。運営上のシステム的に微妙な部分があったにしても、それはどんな営利団体にでもあること。ことさら僕が目くじらを立てることでもないと思い、彼がそれに生きがいを感じ楽しくやってる分には、気持ちの上では応援さえする。しかし、そのことを自分がやるということはまったくの別問題。彼が「良い物」と思っていることは分かる。それがすなわち僕にとっても「良い物」であるとは限らない。単純に言えば「価値観」の問題。僕は人の価値観に感想は持つことはあっても、否定するつもりはさらさらない。
 前回会ったときも、同様の考えを繰り返した。しかし彼は、以前の自分の説明ではアムウェイの価値を本当に伝えきれていない。まだ、やり始めたばかりで未熟だったからだ。今はいろいろ経験も積んでいてもっとうまく説明できるから聴いて欲しいという。じゃ、以前の話はでたらめだったのかというと、そうではないという。ただ、うまく説明できていないだけだという。でたらめでないのであったら、その時の説明でアムウェイの概略は解っている。それだけで、自分には相容れない物という判断が僕にはあるんだよ。と言っても納得しない。
 「ねずみ講」的なイメージが一部にはあるかも知れないが、少なくとも彼にはそんな気持ちで僕を誘っているわけではないことは理解している。彼は本当に「良い」と思って、僕に勧めてくれているのだ。一種、新興宗教や能力開発セミナー的な勧誘の雰囲気が漂うのはそのせいもある。僕は、唯一それが気に入らないと言えば気に入らない。しかし、どうにも彼にはそのことが解らないらしい。一部の「ねずみ講」的なイメージを払底することだけに、躍起になっている。アムウェイに否定的な人間は全てそのことを誤解していると思っているのかも知れない。誤解しているわけではないということが、彼には解っていないのだ。それが、電話の発言で見えたから、僕はキレた。向こうが善意で言ってくれているのが解るから、こちらも誠実に応対したつもりだ。それが解らないのか、と言うわけだ。
 知らない人間なら、適当にお茶を濁してハイそれまでで良いのだろうが、身内の人間だからこそ、僕は怒鳴りまくった。キレてしまえば、論理も何もなくなる。一方的に電話を切ってやる。すぐに又、電話がかかってくる。
 「電話ではラチがあかないから、会って話をしよう」と言い出す。そんなの通る? こっちはそもそも、今は時間が取れないから落ち着いてから話をしようと言っているのに、全然噛み合っていない。僕は電話が長くなるのを覚悟した。
 なんとかその電話は1時間で終わったが、実りのない1時間だった。最後もなんだかよくわからないまま、向こうから一方的に切れた。さんざん議論してきて、「時間がとれないとれないと言って、この電話もう1時間ぐらいしゃべってるけど、実際時間取れてるじゃない」と言い出したのだ。それまでは、最初の爆発した感情を抑えて、なるべく冷静に誠実に応対していたつもりだったが、この言葉でどっと疲れた。「時間が取れてるわけじゃなくって、取らされてるわけでしょ」と突き放す。「....わかったよ。そういう言い方するなら」と彼。「わかったならもういいよ」「....わかったって何がわかったか解ってるの」「いやわかったんでしょ。わかったならいいじゃない」極めてくだらないやり取りになる。しばらくの沈黙の後、電話は切れた。
 話を聴いていて、何もこちらの胸に迫ってこない理由ははっきりしている。全てが即物的なのだ。アムウェイは手段だという。夢のための。その「夢」と彼が言う際に、いい車が欲しかったり、いい生活がしたかったりとそういう例を出してくる。「人間誰だって良い方に進みたいでしょ」と彼は言う。「そりゃそうだろうね、普通は」と答えざるを得ない、とりあえずは。「でもその『良い』って、人それぞれ違うわけでしょ」とこちらが突っ込んでも、「アムウェイの中でもみんな各々、違う『価値観』を持っている。良い車に乗りたい人もいれば、外国旅行に行きたい人も...」って、それって、すごい狭い意味の『価値観』でしょ。だから、人とのつながりができるといったことや、やりがいの話を彼がしても、それすら即物的に感じる。というより即物的である。彼は否定するだろう。アムウェイで得られる利益が二次的な物と彼が考えていることもよく分かる。分かった上で、彼のビジョンはなお、僕にとって即物的なものに映り、興味が持てない。「会って話をすれば」と、彼は強調するが、1時間の電話の間に変えられなかった印象は、会って話をしても変えられまい。それに実際もう会って話をしている。
 結局、僕は彼が、僕の『価値観』を認めてくれないことに腹を立てたのだと思う。『価値観』の多様性を言葉では認めつつ、理解していないことに怒りを覚えたのだと思う。だからこそ、この1時間の電話の僕にとっての『価値』を彼が理解していないような発言をしたときに、僕はもう論議をする気持ちを失ったのだ。
 多分、彼はパートナーが欲しかったのだ。仕事上のパートナーというより、自分のやっていることを理解してくれ、共に分かち合えるパートナーが。その期待に答えられないことは、残念としか言い様がない。しかし、悪いけれど僕には今の彼が目指す物を共に分かち合える自信がない。彼が「僕のため」というのならなおさらだ。
 あー、おかげで、『ボキャブラ』見逃したあ。
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名古屋エレキング倶楽部の開設(1995.11.15)からブログ開設前までの日記を、ブログの形に組み直したもの。原典は日記ライブラリー。古い日記から順に読める。曜日は日付から算出した正しい曜日に直してある。

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