小林克也との初めての出会いは、さて何だったのだろう。
『ベストヒットUSA』の存在はもちろん云うまでもないが、中・高時代のアイドル、サザンとYMOに密接に絡みつつ僕の中に登場してきたのは確かだ。
サザンとの関係でいえば、名盤『ヌードマン』(1982)の一曲目「DJコービーの伝説」がまんま小林克也へのオマージュ曲でもあるわけだが、この前後に嘉門雄三(桑田)のライブにDJとして参加していたり、ナンバーワンバンドのファーストアルバム『もも』における絡み等もあって、番組等での共演も多かったように思う。
YMOでいえば、『増殖』(1980)においてスネークマンショーを発見したことで、咲坂としての小林克也と出会った。年代からいえば、おそらくこちらの方が先であろう。自分史の中では高1の時だ。多分、「小林克也」の存在を知らないまま咲坂に接したと思われる。
このアルバムと共にスネークマンショーのファーストも何度聴いたかわからない。合間の(というかメインの)ギャグをほとんど暗記するほどだった。この流れの先にナンバーワンバンドも乗っかってくるわけだが。
YMOがらみでいえば、今までほとんど忘れていたが、細野を辿っていく過程で発見したティン・パン・アレイのbest「Yellow Magic Carnival」に曲間のナレーションで参加しており、これまた何度も聴いたアルバムなのでこちらの方でも耳に刷り込まれているのであった。
続く