2006年2月のエントリー 一覧

パンパン!スパパン!

前々回の『エンタの神様』に初登場したアクセルホッパー。
パンパン!スパパン!のリズムと共に踊るバカテンポ。
こりゃ結構ハマる人多いぞ、番組イチ押しかな、と思っていたら案の定、2週連続登場。
あれ、この人、ひょっとして、300号記念ということで珍しく買った『マンスリーよしもと』の読者の教えてコーナーに載っていた永井佑一郎じゃないのと思ってググったら、どうもそのようで。
インパクトあるし、ビジュアルもいいんで、そこそこブレイクするでしょう。
ただネタが単調なんで飽きられやすいかも。他にどんな引き出しがあるかだよなあ。

デス博士の島その他の物語
やっと読了。あー、しんどかった。
好きだけど苦手な作家ジーン・ウルフ。もどかしいほど読み進めるのが遅くなってしまうのだが、途中でやめることが出来ない。
これだけ時間をかけてジリジリ読んでも、この本の企みの3分の1もわかってないのだろうなあと思うと悲しくなってくるね。
集中力のない僕がボヤボヤ読んでいると、皆目何が書いてあるのかわからなくなり、ところどころ字面を追うだけになってしまうが、またしばらくすると作中にグイと引き戻される、そんな繰り返し。
かなり昔(それこそ20年ほど前)、シュノー先生に勧めれられるままに読んだ表題作はやっぱり好き。企みがすべてわからずともいい話とわかる。
「死の島の博士」が一番話の筋自体はすっと頭に入ってくるのだが、難易度は高い。
すべての作品が「読むこと」をそのテーマのうちに持っており、その人の『読書』というものに対する試金石になっているかのような作品集であった。
最後に、なんとなく気に入ったフレーズ:
「人間はこみいった猿だよ、ニコラス」

小林克也のこと その4

『ザ・ベストヒット83』というのは、テレビ朝日で1983年5月より、毎週火曜9時に放映されていた歌謡番組である。当時は『ザ・ベストテン』の全盛期。日テレでも『ザ・トップテン』が安定した人気を保っていた時期で、テレ朝のそれら番組への対抗として結構華々しくスタートしたと記憶している。
司会は我らが小林克也に、当時人気絶頂のビートたけし、そして作詞家の浅野裕子(現・エッセイスト)という組み合わせ。克也さんとたけしという当時の僕の2大アイドルといっていい存在の顔合わせは、(少なくとも当時は)残念ながらまったくかみ合ってなかったといっていいだろう。番組自体も不調で半年持たずに終了した。
そうしたTVでの活躍とは別に、僕に大きく影響を与えたのは、日曜深夜0:00からのFM愛知(FM東京)での『ナガオカ・ワールド・ミュージック』という30分番組。英米の最新ヒットがかかり、キャッシュボックスの最新チャートを国際電話で繋いで生で紹介するコーナーがメインだったのだが、当時チャート少年だった僕は、ネイティヴの発音を必死に聞き取りながら、新しくチャートインした曲をノートに毎週メモり続けた。そのおかげで英語力がついた...という事実はまったくない...。
インターネットなどない時代の話、とにかくどこよりも早いアメリカの情報が魅力だった。確かマイケルの「スリラー」とかも最初にこの番組で聴いた。完全にフォーマットの固まった番組で、その中で豊富な知識と経験を生かすという、『ベストヒットUSA』同様、克也さんお得意のパターンといえよう。
実は、この番組名を覚えておらず、今回これを書くにあたり、ググって調べたのだが、その過程で僕と同じようなことをしていた人々がたくさんいるのを発見した。みんな日曜の深夜、耳をこらしてラジオにかじりつき、あるいは録音したテープを何度も巻き戻して、初めて耳にするアーティストの名前や曲名を聞き取っていたのだなあ、と感無量になった。

あと、もう一度続く。

サンシャイン栄1周年

出社の土曜だったので、昼飯時、麺屋横丁の新店の様子を見に行ったのだが、サンシャイン栄全体でOPEN1周年のイベントがおこなわれていた。
帰り際、13:00から始まる品庄のイベントに必死に呼び込みをしているのを見かける。覗きたい気もあったが、仕事があるので当然立ち去る。
品庄の人気やいかに、と思い馳せながら自転車を漕ぐ土曜の午後かな。

THE LOVE ROCKS (初回限定盤DVD付き)
うーん、必ずしも大ファンとは言い切れない部分もあるのだけど、ドリカムの曲には抵抗できないのだよな。
前にも書いたかも知れないけども、当時レンタルCD青年だった頃、出たばかりのデビューアルバムをまったくの前知識ナシにふと借りて聴いてみて、何となく軽んじる部分を感じる一方、耳にすんなり入ってくる曲調と歌声に結構気に入ってしまった以来のことである。
その後、大メジャーになったわけだが、どっぷりハマらないまでも、好ましい気分で数々の曲を聴いてきた。
一応アルバムも全部聴いている筈だが、聴き込むまでには至らないのはミスチルと一緒。
さて、今回のアルバムはかなりバラエティに富んだ内容で、最新ヒットも数多く含むというだけでなく、聴き応えはあるように感じる。このところのシングルは全部好きだし。前のアルバム収録だけど「やさしいキスをして」が異常に好きなんですよ。このアルバム収録シングルでは、同じような構成の「何度でも」も好きかな。だから昨年の紅白ステージは堪能しました。

引き続きドカベン。
この2巻は、柔道編と野球編のインターバル的な感じ。
話としては柔道編の続きなのだが、正式な柔道部の試合ではなく、空手の達人幽鬼鉄山&牙との闘いと小学校番長軍司と講道館での黒帯取得のエピソードに終始している。
長島と野球部も6巻の終わりになるまで出てくることはなく、野球の「や」の字も出てこない。
すっかり忘れていた部分だなあ。ここら辺、TV版でもちゃんとやってるんだっけ?
でも、随分面白いんだ、これが。マンガとして充分楽しめる。
しかし水島新司の絵って変わらないよなあ。昔からレベルが落ちないというか、これぐらい初期でもほとんど今と絵の質が変わらない。永井某や松本某とは大違いだね。

ドカベン (1)

マンガが読みたくなってきたので、これからポツポツ読んでいくことにする(キッパリ)。
でも、今時のマンガについていけるかどうか心許ないので、昔のマンガを読み直すことで基礎体力をつけ直していこうと思う。
と理由付けをして、『ドカベン』を読み返すことに。

いやあ、『ドカベン』好きなんですよ。
小学校の頃、一時マンガ禁止令が家で出ていたのですが、それが解禁となって買った一冊目が、忘れもしない『ドカベン 13巻』だったなあ。
TVアニメが始まったのがちょうど中一の頃だったんだけど、行かされかけていた塾が水曜にかかっていたので、見られなくなるのがイヤさに、塾を辞めたという(笑。
さらに、大学院浪人時代(結局行かなかったんですが)、勉強するのがイヤで漫喫に閉じこもってわしわし読んでいたのが『大甲子園』(と『光の小次郎』)だという。
読者の諸君も、ワシがこんなに『ドカベン』好きだとは思ってもみなかったことであろう。

4巻目まで読んだ。
まだ山田も岩鬼も中学生。鷹丘中学柔道部に所属している。影丸や賀間が出てきたあたり。
やっぱ忘れてるよ、随分。もう四半世紀ぶりぐらいだもんなあ、読み返すの。
あったなあ、ミイラの道場破りとか、審判がイガグリ君だったんだよなあ、とか。

ひとつ思ったのは、今の『ドカベン』(に限らずだが)に比べ、コマ割りが小さいこと。
現代のマンガは、どんどんコマ割りが大きくなっているねえ。
実際、読みでがあるのよ。同じ一冊でも密度が違うだろうね。

ポツポツ、続けて読んでいきます。

小林克也のこと その3

『YELLOW MAGIC CARNIVAL』で思い出したけど、曲間のナレーションを努めたアルバムといえば、忘れてならないのが山下達郎の『COME ALONG』。『?』も出たけど、初期達郎サウンドを繋いだベスト盤的企画盤。イントロナレーションとしては最高。バッチリ合ってる。

さて、それで『ベストヒットUSA』。放映が81年から89年までということだから、まさに80'sの申し子。出会いは高2の時だったんだなあ。洋楽を聴きまくっていたあたり。モチロン欠かさずに見ていた。
名古屋では名古屋テレビの金曜夜だった筈。この後にテレビ愛知の(sony presents)MTVに流れたのが、ミュージック・クリップ番組黎明期の僕らの視聴傾向だった。
終了後、かなり経って『ベストヒットTODAY』という番組が(名古屋では)CBCの深夜にひっそり流されているのを見た時は驚いた。『ベストヒットUSA』と番組フォーマットからテーマ曲に至るまでまったく同一の番組だったからだ。
唸ったのは、単なるナツメロ番組として復活していたわけではなく、その時の最新ヒットをきっちり紹介していたことだ。そしてしばらくして中日新聞の夕刊の記事だったかで、小林克也個人が自分のスタジオで番組製作して放送局に売り込んだ番組と知り、さらに仰天。
ここにおいて、小林克也の本質を思い知らされることになる。こういうヒトだったんだ。
以後、この番組は放送局の壁を乗り越え、現在に至るまで連綿と続いているようだ。(BS朝日なら見られるのかー)
動く小林克也を見たのは、おそらくこの番組が初めてだったのだろうが、その後様々な番組で彼を見ることになる。そのひとつが『ベストヒット83』という番組だ。

続く

R?1グランプリ2006

巷ではM-1に比べてその安っぽさが指摘されているR-1を、録画で深夜に見た。確かにすべての点(セット、進行、キャスト、試合そのもの等々)において熱量が低いというか、カロリーオフな感じ。
でも、昨年よりネタそのものは楽しめたかも。
以下、順に寸評。

1.友近
2?3度見たネタ。悪くないネタと思うし再見にも値したのだが、クスクス笑いの延長上だからなあ。友近のばあい基本的にそうなんだけど。
トップバッターで損をしたというより、トップバッターで良かったかな、って感じ。

2.バカリズム
驚いた。知らぬ間に一人になっていたということにも。「トツギーノ」と最初のフリップが出たところで、面白い予感。天丼パターンのネタそのものは、それだけ取り出せばさして面白くないかも知れないが、タイミングと演者の表情で笑わされた。つまり芸になってるツーことか。

3.中山功太
必ずしも好きではないのだが、なかなかウマイつっこみを入れるとは思う。昨年と同じネタパターンだったので、他のパターンも見てみたい。

4.キャプテン☆ボンバー
なかやまきんに君好きなので許す。まさしく力技で笑わせる。

5.あべこうじ
いや良く出来ていた。面白いというよりウマイというのが先に立ってしまった印象があるが、ウザさも含め話芸として認めるべきだろう。

6.浅越ゴエ
定番ネタのバリエだが、さすがちょっと新鮮味にかけますね。面白くないことはない。

7.岸学
唯一初見のナゾの存在だったが、なかなか笑わされた。ただやっぱ少し中途半端だったかな。今後に期待。

8.博多華丸
児玉清ネタ、大好きなんだけど、個人的には今日はそれほどでも。審査員は『おかげ』とか見てないんだろうなあ、と思わせる結果。初めて見たらハマりますよ、驚きますよ、そら。

というわけで、バカリズムとあべこうじが収穫でした。
でも博多華丸、良かったねえ、まあ。

小林克也のこと その2

小林克也との初めての出会いは、さて何だったのだろう。
『ベストヒットUSA』の存在はもちろん云うまでもないが、中・高時代のアイドル、サザンとYMOに密接に絡みつつ僕の中に登場してきたのは確かだ。
サザンとの関係でいえば、名盤『ヌードマン』(1982)の一曲目「DJコービーの伝説」がまんま小林克也へのオマージュ曲でもあるわけだが、この前後に嘉門雄三(桑田)のライブにDJとして参加していたり、ナンバーワンバンドのファーストアルバム『もも』における絡み等もあって、番組等での共演も多かったように思う。
YMOでいえば、『増殖』(1980)においてスネークマンショーを発見したことで、咲坂としての小林克也と出会った。年代からいえば、おそらくこちらの方が先であろう。自分史の中では高1の時だ。多分、「小林克也」の存在を知らないまま咲坂に接したと思われる。
このアルバムと共にスネークマンショーのファーストも何度聴いたかわからない。合間の(というかメインの)ギャグをほとんど暗記するほどだった。この流れの先にナンバーワンバンドも乗っかってくるわけだが。
YMOがらみでいえば、今までほとんど忘れていたが、細野を辿っていく過程で発見したティン・パン・アレイのbest「Yellow Magic Carnival」に曲間のナレーションで参加しており、これまた何度も聴いたアルバムなのでこちらの方でも耳に刷り込まれているのであった。

続く

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