『宿屋めぐり』 町田康
町田康に関しては、初期作品を立て続けに読んでなかなか感服したものの、以後そのままになっていた。
ということで近年の長編2作品(『パンク侍』『告白』)は読んでいないのだが、この『宿屋めぐり』に関しては、いま読めすぐ読めと脳内電波がまたぞろ告げるので、とり急ぎ手に取った。
手に取ったはいいものの、600ページに及ぶ大長編。ずっしりと重量級。
章立てがされているわけでもなく、ただひたすら文章が続く(それはあたりまえ)。
とはいえ、独特ではあるものの読みにくい文章ではない町田の文体(むしろリズミカルで読みやすいと云えるだろう)に身を委ねれば、頁を繰る手も早くなり、苦もなく読了できる。
傑作といっていいだろう。
いろんなとっかかりがあるので様々な観点より語ることの出来る作品だと思うが、僕がおもしろいと思ったのは以下の観点。
主に命ぜられ、大権現へ大刀を奉納する旅に出た主人公は、冒頭近くで「くにゅくにゅの皮」に飲み込まれ、偽の世界(と思われる)へと飛ばされる。その世界でも、引き続き奉納の旅を続けるのだが、途中さまざまなとんでもない出来事に遭遇し、はからずもなのか必然なのか、種々の罪を重ねて行くことに。
それを、主人公は「ぬれぎぬ」と位置付けつつ、くどくどと自己正当化を語り続ける。
果たして、真に罪を負うべきなのは主人公なのかそれ以外なのか。
偽の世界における真とはなんなのか。
何度も挫折しかけつつも奉納を目的に旅を続けざるを得ないのは何故なのか。
主の存在が面白い。
物語当初「あるじ」と読んでいると、途中で「しゅ」と読まざるを得ないような仕掛けになっている。
その「主」による罰を恐れて、主人公はひたすら自己正当化を述べ続け、そしてその罰が奉納の旅を続ける行動原理にもなっているのだ。
人の行動原理における罰のシステム。
もちろん罰は「ばち」と言い換えていいだろう。
「ばちがあたる」という考えが人の行動を規制する様が綿密に描かれているところ、そこが僕が面白いと思った部分である。
気に入った部分は、中盤における王裂での芸人人生の部分。
筆がすべって勢い余って、本線からちょっと逸脱した感のある部分であり、破茶滅茶も極めつつ疾走感を伴ったライブ感が持続し続ける。
さて、読み残してる前2作を読まなきゃなあ。
Comments [2]
匿名さん
ネタバレしてんじゃん
elekingさん
えーっと、どこが?
つうか、ネタバレとかいう小説でもないでしょう?