歌スタといじめその2

10月以降も無事続いている「歌スタ!!」。この手の深夜番組としては長期に渡る放映といえるだろう。
ただ、ここの所いまひとつパッとしない。
もちろん目を見張る様な才能が出てこないと面白くない、というのはこの種のオーディション番組の宿命ではあるのだが、それ以前に企画がツマラない。LEONとかの雑誌とのコラボ企画とか、全然わくわくしないよ。
さらに個人的に気に入らないのは、最近ハンターに加わったDJ UTOという男。ツボを押さえた審査というのはよく聞く言葉だが、ことごとくツボを外した審査にコメント、お前の頭がトランスじゃ、といいたくなる。
しっかりせいよ、歌スタ。
せっかく名古屋では裏番組となっている「やりすぎコージー」を見るのを我慢して見ているというのにぃっ。
(それでも先日放映された「やりすぎコージー」のパラ軍団の回は何とか見ることが出来た。抱腹絶倒のオモシロサだったなあ。録画しとけばよかった。)

いじめの話の続き。
小学生の娘二人が、今日学校で「ウザイ、キモイ等とは言ってはいけません」と話があったという。
それはナニ、指導なわけ? それとも通達なのかね?
なーんかムズガユイんだよなあ。肝心なところが触られていない感じ。
そりゃ、実際どういう文脈で語られたか聞いてはいないのだけども、そこだけ取り出すと妙にマヌケに聴こえないかね。
そのうち「いじめは犯罪です」なんて標語が出来たりするんじゃないか。
もちろんいじめは良くない、と端的に云ってもいいとは思う。
ただ複数の人間が集まったところに必然とそういう構図が発生する、ということを学ぶのが学校というところのひとつの機能なのじゃないかね。
臭いところにフタをして終わりですか。
「いじめがありました」と認めることに、また認めさせることにどれほどの意味合いがあるというのか。
無視する、悪口を言う、批判する、仲間はずれにする、話が合わないからあまりしゃべらないようにする、からかう、ちょっかいを出す、目立たせる、物を貸さない、はやし立てる....こうしたことのどこに「いじめ」かそうでないかの境界線を引けるというのか。
そうした人と人との関係、人間社会の構図の中でどう振舞うか、どう対処するか、どう自らの行動を反省させるか、そんなことが学べ、また指導できる場であって欲しいと学校に対して思うのは欲張り過ぎだろうか。
なんかこのニュースの続報が耳に入るたびに、もやもやした感情が残るのよね。

今日のミュージックは、トッド・ラングレンとポール・サイモン。才能溢れるソロ・シンガーの初期作品特集でした。
Runt: The Ballad of Todd Rundgrenポール・サイモン(紙ジャケット仕様)

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